「ひとりごと」に書いた文章を掲載しています。興味のある方はお読みください |
安倍元総理の銃撃ー1
安部元総理が銃撃されて亡くなってから3週間が経ったと報じられ、数々の問題点が浮上してきています。
政治家って難しいですね。安部元総理は、選挙に強く、2度目の総理になってからは選挙は全勝でした。負けたことがありません。
勝つためには何でもした・・・というレガシーも残したようです。
しかし、批判されるほど悪いことをしたとも受け取れません。信教の自由を優先したとも言え、残念な宗教が政治家を利用し人々を信用
させるツールに使ったとも言えそうです。
追記=アメリカの共和党も「旧統一協会」との関係は深く、取り込まれてしまっているようです。(TBCの報道特集の報道)この団体は
宗教ではなく宗教を利用した営利企業だと…韓国の記者は以前語っていましたが・・。
私は個人的には、安部元総理は好きでした。政治に詳しくない私にも判りやすいビジョンがあり、国民に批判を恐れず説明していたと感じて
いました。テレビやYou Tubeなどの番組にも度々出演して発言されていましたが、親しみやすく「安部チャン総理」の愛称がよく似合って
いたと感じていました。
今まで世界的に日本の政治は「アメリカの言う通りにしかならない。」と思われがちだったイメージを変え、世界に存在感のない日本の
政治家のトップの存在感をあらわにし、注目される日本へと変えました。
外交の手腕は「ピカ一(いち)」だったと思います。私は、国民として、素晴らしい政治家だったと評価している。
功罪はあったと思われますが、マスコミや野党の人々が懸命に批判しても尚、信頼の落ちない政治家だと思います。残念ですが一方で
「旧統一協会」の実態が再び浮上することで、この団体の危うさも露わにされ、改善の方法が見つかれば良いと思います。。
金銭面では、日本だけが狙われたようで、被害の金額は世界一、この団体の収益の70%が日本で集めたものだとも報道されています。
この宗教団体の創始者は、バチカンに負けない「宗教大国」を作る・・・という夢に向かってお金を集め豪華な建物を建てています。
建物に酔って、信仰心を満足させられた信者も、なんだか悲しいですし、多くをささげる信者が「優良信者」と称えられるという信仰も悲しい。
献金で先祖の罪や因縁を浄化するだの・・・罪を清めるだの…こんな信仰も悲しい・・。・強迫観念で導かれる信仰も悲しいです。
私はキリスト教信者ですが。わが教会では、一万円献金した人も、二千万円献金した人も同じ扱いで差はありません。先祖の罪は関係
無いとキリストは説いている・・。 (2022年7月29日)
安倍元総理の銃撃ー2(献金について)
私はプロテスタント・キリスト教徒で、献金は「毎月」しています。一応収入の何%という基準はありますが、税金のように収入を調べて
きっちり納めさせるというものではありません。信者の意思に任されています。
教会側から「これ位の予算を組んでいます・・・献金にご協力ください・・。」というお知らせはありますが、強制的に集めてもいません。信者の
意思に任されています。
私はこの献金は「教会がそこに存続しているために必要なもので、信者にとってはある程度義務だ」と思っています。教会がない信仰って
私にとっては考えられないからです。
キリスト教には「無教会主義」という宗派があり、私の知人には「無教会主義」のキリスト教信者もいます。公民館や民間の一室を借りて礼拝を
行い、主要な信者が代わる代わる聖書の解説をしていると聞いています。教会の建物の維持も牧師の生活費も必要ないので、献金の額は
かなり低く、使った費用を信者数で均等に割って支払っていると知人は語っていたと記憶している。
今回「旧統一協会(世界平和統一家庭連合)」がクローズアップされ、献金の強要が問題視され「霊感商法」ともども問題にされています。
私が若かりし頃、問題になっていた商法ですし、カルト新興宗教といわれていました。
この新興宗教を信じている人の献金は、強制だけで献金しているのでしょうか・・・?中には喜んで全てを捧げてしまう信者もいたかもしれません。
信仰とはこうしたものだとも言えます。
私たちも「ただ信ぜよ・・ただ信ぜよ・・信ずる者はだれも皆救われん。」と賛美歌を歌っていますし、私の母の弟は、仏教を信仰していますが、
最高級の戒名をつけてもらうため生前に1,000万円をお寺に寄進したと言っていました。
位の高い「戒名」をこの世に残して極楽浄土へ行きたかったようです。信じる者にとってはこれが出来るのです。私は「天国や極楽に身分の
差はない・・。」と信ずる者なので、こんな形の寄付は致しません。信仰とは信じないものにとっては「馬鹿げたこと」なのです。
ただ、これらの多額の献金や寄付・・・この世でするものである限り・・見栄の感情の表れで、信仰の真実ではないと私は感じています。
根底には虚栄心があり、これと信仰が綯い交ぜになった行為だとも思えます。
安部元総理を銃撃した犯人のお母さんも多分、強迫観念や虚栄心に訴えられ、その部分が一億円もの献金をしてしまった可能性を私は
想像してしまいます。感情を高揚させられて献金したようにも思えてきます。
このカルト新興宗教を信じた人たちは、この新興宗教を信じて喜びがあった人もいたのではないか・・・と思ってしまいます。
私は認めませんが、信じた人には「これが信仰だ・・・。」と思ったのではないかと思ってしまいます。
冷静に考えると・・・また人間的な思いで考えると・・・馬鹿馬鹿しいものが信仰だともいえると私は思っています。
騙されて入信した人を除けば、この宗教を排除しなければならない理由は難しいと思います。これ、アルコールや薬物中毒、賭け事中毒、
好きな異性に入れ込んでしまって資産をなくしてしまったのと同じです。アルコールや賭け事は無くしていませんし、異性も存在しています。
うんちとお味噌の違いを見分けられない信仰とも言えますが・・・信教の自由の国では取り締まりはかなり難しくなると思われます。
私は二つの理由から信仰を持ち続けているといえます。一つは死後の行き先をはっきりさせておきたい・・・行き先の決まった人生が
送りたい・・・。
あと一つは、生かされていることに感謝し、人間の持つ高揚する感情や強欲を少なくした人生が送りたい・・・。感謝する信仰対象を持ち、
冷静に・平安に生きていきたい・・・。
神様にそういう自分に導いてください・・・と祈りながら生きていると神様はそのように導いてくださると信じている信仰なのです。
私にとって献金は信仰をもって生きる者にとって、当然の必要経費で違和感はまったくありません。ただ、生きている間に全てを捧げてしまったら
その後の生活と信仰生活は続けられるのか・・?家庭を壊してまで、回りとトラブルを起こしても尚、また借金してまで献金をするものなのか?と
考えられるくらいの冷静さと常識は必要かと思われます。
生きてゆくのに、バランスの良い常識と信仰とは必須だと私は思っている。 (2022年8月3日)
追記=今回の事件で「旧統一協会(世界平和統一家庭連合)」がクローズアップされ、献金のイメージが悪くなったかもしれません。しかし、
正しく献金している人々には、惜しむ気持ちは無く、信仰に必要な献金を喜んで捧げているもので、強制されたり脅迫されて
差し出しているものではありません。多少、質素を伴ったとしても生活に支障のない範囲で可能な金額を献金していることを
お知らせしたい。
安倍元総理の銃撃ー3(政治と宗教)
BS・TBSの「報道1930」という番組をよく見ています。
昨日、アメリカの大統領選挙と宗教団体の関係を特集していました。「旧統一協会」との関わりもレーガン大統領時代から関係が深く、かなりの
支援を受けていたと・・・報道されていました。
前々から日本でも、公明党と創価学会の関係は明らかで、創価学会の女性に選挙前に「投票される方は決まっていますか・・・・」と聞かれ、
「誰だれに投票してください。」と声を掛けられていたものですが、統一協会との関係も深い議員は多かったようです。
この番組の中で、政教分離は、「政治が宗教に関与してはいけないことは決められているが・・・宗教が政治に関与してはいけないとは
決められていない。」という結論が話されていました。
この政教分離果たして完全だといえるのでしょうか・・・?宗教団体に支援されて当選した大統領や議員は、支援された宗教団体の声を
無視できるのかが問題となっては来ないでしょうか・・・?
この番組を見ていて、一筋縄ではいかない政治の世界が報道されていて、「政治家はかなり図太く、くせ者でなくて勤まらない職業だなー」
という印象でした。
キリスト教福音派の支援を受けているトランプ大統領も統一協会の助けも借りているという現実もあったり、トランプ大統領は、聖書を逆さまに
持っていても気づかないほどの信仰で・・・信仰深くはないとも言われていました。
宗教団体が政治家を利用しているだけではなく、政治家も大いに宗教団体を利用して票を取っていることが世の中に明らかにされた、今回の
安倍元総理の銃撃事件だったようです。 (2022年8月6日)
信仰の誤解
「旧統一協会(世界平和統一家庭連合)」がマスコミで騒がれるようになってから、次々と実態が明らかにされていますが、この問題によって
信仰のイメージが大きく下がってしまいました。
信仰をもって生きている者にとって、「信仰は危ないもの・・・」というイメージを持たれてしまったかもしれないことがとても残念です。
しかし、考え方によって危ないものではなく、穏やかに生きる根源が信仰にあるということも訴えたい気持ちがあります。
私は信仰対象があることによって、平常心が保たれる生き方が出来ています。これを失うと心の落ち着きどころを失って、心もとない・・。
心が安定しない・・・。それが気持ち悪い・・のです。すっきりしないのです。
たぶん、仏教と神道を信じている親戚の人々も、死者を丁寧に供養し・・先祖に感謝し・・仏事を守って安心していると思いますし、お祭りや
お正月の行事、初詣、神事を守ることで心穏やかであるのではないかと思います。
生かされていることへの感謝を忘れると、自分本位になり、「母を殺したかったから、他人で予行練習をしたかった・・。」というような考えに
向かってしまうことになるのかもしれない・・。
殺人で、物事の解決はありません。安部元総理を銃撃した人も、「死刑になりたかった・・。」と殺人をした人も、殺人で心の平安は得とく
できたでしょうか・・・?もっともっと迷いや苦悩が発生したのではないでしょうか。殺人で解決はしないのです。
私が信じる神様は「父母を敬え、殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、他人の財産を貪るな…他」を命じています。
これを守っただけでも、平安はあると思います。
また、神に祈るということは・・・私にとって、神とお話しすることで・・・人に話しても解決出来ないことを、祈りという形で神様に訴えてみて
います。結局自分の心が自分でヒントを得て解決することになりますが、自分以外の 誰か(神様)に心の内を訴えることで、案外自分を
客観的に見たり、諦めへの決断(物事に執着して深みにはまってしまうことからの回避、結果を神様(運命)に委ねる)、それによって
良い考えに至ることが多いのです。
信仰心がある人はこれを「神が導いた・・・。」と受け取りますが・・・自分で気づいたことに外なりません。しかし、冷静にされ気付かされた
ことは確かです。
「旧統一協会(世界平和統一家庭連合)」を信じた人々は、人が言ったことに素直に従ったり、先祖の罪が貴方に祟りを与えているという
ような恐怖から逃れるためお金を支払ったに過ぎないように思え、また、高額献金で褒め称えられ特別扱いされ「優良信者」と言れることが
気分良かったようにも思えます。
これは信仰ではなく、人間の業を高揚させただけと感じます。これ信仰ではない・・。
人間の業を遠ざけ平安を得るのが信仰だと、私は思うのです。
今回の問題は信仰心の誤解を高めたようでもあり、残念です。 (2022年8月23日)
マインドコントロールについて思う
「旧統一協会」問題が再燃してから、多くの記事をネット上で読むようになりました。アメリカや発祥国の韓国では、「日本はこの宗教を
まだ信じている人がいるの・・・?」という感覚のようです。
なぜ日本人はこうした先祖の因縁だの・・死者や動物の祟りを恐れるのか・・・?民族性なのでしょうか・・・?
以前私「大山ねずの命神示」信者の方とこの信仰について2~3度お話したことがあります。
この方は、3~4回の交通事故を立て続けに起こしたり、親族に数人の死者が立て続けに出たりした時期があり、「大山ねずの命神示」
信者になったことから、この現象がなくなったと・・・興奮して語っていました。
先祖の因縁がこの現象を起こしており、先祖の因縁を断つことができるのは「大山ねずの命神示」でなくてなならない・・・。という考えを
信じて信者になったと話していました。
信仰の話をする時の彼女は、かなり興奮していて、声も語り口も激しくなりました。
「私はキリスト信者で、キリストは先祖の罪とは関係ない・・・と説いている信仰なんですよ・・・。」と返した記憶があります。
彼女はその信仰を全く疑っていないようで…一心に語っています。これマインドコントロールでしょうか・・・?
しかし信仰とはマインドコントロールなしには成り立たないのではないか・・・?と私自身も思います。キリスト教会でも、毎週礼拝に行って
牧師の話を信じて、洗脳されに行きます。そうしないと、神の存在を忘れて・・自分本位な思いに至ってしまうからです。
教会で牧師は、絶対的権力者で教師です。道を導く羊飼いです。講壇で語る言葉は神の言葉。信者は仔ひつじで羊飼いに養われ
導かれている幼子であります。
ですから信仰は、こうした洗脳によって成り立っていると言えるように思うのです。
話は戻りますが、ずっと昔、私の母もこうした祟りを信じさせられ・・多額のお金をだまし取られたことがあります。
長兄が、理由もなく倒れてしまうことがあるようになりました。病院で調べてもらっても原因がわからず、癲癇の体質でもないといわれていました。
教師をしていた兄は、たまに授業中に倒れて、学校で大騒ぎになることから、母が「おがみやさん」と言われる祈祷師さんに頼ってしまった
のです。
この祈祷師の診断は「この子は、蛇を一匹殺している・・。この蛇が恨みを持ったまま死んだ・・。この恨みをお払いして断ち切らないとこの
現象は終わらない。」と言ったようです。
母は、誰にも相談せず、へそくりを全額使って、お祓いをしてもらいました。そしてその祈祷師は、お祓いをしたという「しるし」を持って
実家にやってきました。そして実家の様子を見て「まだお金が取れる・・。」と判断したのか、「この蛇のお腹には7匹の子供がいた。
親の恨みを引き継いでいる。親の恨みは断ち切ったが、子供の蛇の恨みを断ち切らなければ…もっとひどい恨みを負ってしまう・・。」と
言い出したのです。
母はそれを信じて、父と祖父に泣きながら訴えました。「子供のためにお祓いをしてやらなくてはならない。お金が必要だ。山を一つ
売ってほしい・・。」と。父と祖父は「これは詐欺だ。こんなお金を支払ってどうする・・。支払ったものは仕方がないが、これ以上だまされるのは
止めにしよう。」と懸命に説得しました。
高校生だった私にも、詐欺だとわかる事例ですが、子を思う母の心につけ込まれた母は、なかなか納得しなかったのです。
これ「俺!おれ!詐欺」と同じですね。でも、人間って、引っかかるんです。私は母で体験しています。人間の弱さです。
こうした詐欺と信仰のマインドコントロールには、どんな差があるのでしょうか・・・?
どうすれば、良いマインドコントロールと悪質なマインドコントロールを見分けられるのでしょうか・・・?難しい問題です。
「旧統一協会」に騙された人を「あいつらは馬鹿だよ!!」って一蹴する人もいますが、私には同情しかありません。もしかすると
信じやすい、また同情しやすい私も悪質な詐欺に引っかからなかったとは言い難いからです。
私はこれまで、小さな詐欺には、度々騙されて物を買ってしまったり、寄付をしてしまっていますが、こんな高額なお金を使うときは、
私誰かに相談します。一人で決めません。それが詐欺から回避できた要因だったかもしれません。 (2022年9月5日)
馬鹿馬鹿しい調査
自民党と「旧統一協会」との関連を大騒ぎして時間を取っていますが、もっと大切な議論をしてほしいと思います。
国会議員って、与党も野党の議員も町の文化祭などに呼びもしないのに挨拶に見えます。顔を売りたい・・・名前を覚えてもらいたい
親しみを持ってもらいたい・・そのために、人の集まる所へは時間を作ってこられて、なるべく多くの人と握手して帰ろうとされていました。
「来てくれ・・。挨拶してくれ・・。電報を打ってくれ・・。」と言われれば、議員さんはほいほいそれに応じるのが当たり前になっていました。
「大変だなー。」と思って見ていたものです。私、絵で表彰された時も、受賞の時に来賓の議員さんのほうから「握手しましょう・・。」と手を
出され、したくもないのに握手したことが何度かあります。
選挙で勝つためには、媚びを売らなくてはお話にならないのです。利用しようと近寄ってこられても、詳しく調べることなく応じてしまうのが
議員さんの姿勢だと思うのです。当選しないと仕事が出来ないのです。まず当選を目指すのが普通です。
この騒ぎ方は何なんでしょう。日本の野党やマスコミは可笑しくないですか・・・・?自民党が「旧統一協会」の会員が多かったというなら
「旧統一協会」に牛耳られて政治をしていたというなら・・・問題でしょうが、公明党と創価学会との結びつきなど、今回の問題とは雲泥の差で
ずぶずぶどころか、一体でしたがこんなに騒いだでしょうか・・・?そして、日本5大カルト宗教を検索すると、創価学会は筆頭に記載されて
います。
日本のマスコミの感覚って可笑しくないですか・・・?もっと、「旧統一協会」の危うさを国民に知らせ・・・このカルト宗教から遠ざかるよう
世間を覚醒させるほうが大切なのでは・・・?たった6万人ほどの信者の政治への影響力ってどれほどのものなのでしょう。
※=「旧統一協会(世界平和統一家庭連合)」の信者数は65万人と言われているそうですが、熱心に信仰している人々は6万人程だと
言われているようです。それだけの人数で毎年600億円の献金仕送りを韓国に送っているとの報道もあり、強制献金は疑われても
当然かもしれません。
海外から見ると、「なんとアホな日本国民」としか映らないのではないかと、心配になります。
国民もマスコミによる誘導や洗脳に弱すぎます。もっと、大人の考え方で判断しても良いのでは・・・?と思います。自民党もこんなお金第一の
宗教団体とは今後親密にはなってほしくはありませんが、この方々も選挙権のある国民です。
選挙権は持っている国民なんです。こんなやり方は、差別でしょう。「旧統一協会」の献金問題が、問題なのですから、問題をすり替えず
強制献金や霊感商法の問題性を、強調して欲しいです。 (2022年9月9日)
いつの間に日本人は
駐日ジョージア大使・ティムラズ・レジャバ氏が、安倍元総理の国葬反対問題に、「問題提起」して、ツイッターを更新したとマイクロソフト・
ニュースで報じています。
テレビで「パックン・マックン」のパックンも、国葬に賛成していて・・・遠慮しながら賛成を訴えていました。
これ私の感覚では、外国人の安部元総理の評価と日本人が国葬を反対する感覚の違いが大きく表れていると思います。
日本では「死人に口なし・・。」とか「もの言えぬ死者」とか言いますが、事実を確かめることもなく、反論もできない「死者に鞭打つ」ことが、
平気な民族となってしまった感覚があります。かなり「重箱の隅のごみ」を一心に探そうとして、考えが誰かに誘導されてしまっています。
視野の広い外国人から見ると、異常な現象と思います。私の神は、娼婦が大勢の人々から石を投げられた時「一度も間違いを
しなかったものだけが、石を投げなさい・・。」と言われた。すると全ての人が、石を投げるのを止めて、その場を立ち去ったのです。
根底にキリスト信仰がある国の人には、この意味が分かると思いますが,日本人にはこの意味…解らなかったのでしょうか・・・?
何時からこうした民族性に変化していったのでしょう。人を批判することが楽しい(面白い)のでしょうか・・・?亡くなった人ですよ・・・。
それも予想もしない思い込みでの殺人・・・。
私の神は「隣人に対して偽証してはならない・・。」と説いておられるので、不確かなことや憶測による、また針小棒大による事実をもとに、
安部元総理に対する死者に鞭打つ行為が日本人として情けなく感じて止みません。経済的には豊かになったけれど、心は貧しくなったと
いうことでしょうか・・・?。
こんな民族だったのか・・・?と悲しいです。税金をいくら使うのか・・?と言うことがとても気になるようですが、そんなお金第一の民族だった
のでしょうか。さみしいですね。
最も長く政権を持った人である安部元総理は、長きにわたって国民から支持されていたとも言えます。国民に支持されないで、長きにわたって
総理は続けられません。どんな立派な人間であっても、何もしない、何もできない、国を導くビジョンもない総理を国民は支持する
でしょうか・・・?
日本人気質が、マスコミや野党の批判によって曲げられ変えられて行っている現実が、私は悲しいです。 (2022年9月10日)
好な政治家の一人「野田佳彦元総理」
自民党以外の好きだった政治家には、旧民主党の総裁を務めた経験のある「野田佳彦氏」がいます。自民党の党首でも、嫌いだった
政治家は「福田康夫」元総理ほか多数いますが、民主党で唯一、元総理・野田佳彦氏は好きな政治家でした。
今回安倍元総理の国葬に参列するとの報道を見ました。「やはりなー」と思いました。
野田氏の人間性からすると、「参列されるだろうなー」と思います。
国会で安倍元総理と当時の総理だった野田氏とが国会答弁対決(党首討論)で、安倍議員から解散を約束させられた野田元総理の
映像が浮かんできます。
私は、千葉県習志野市に19年ほど住んでいた関係で、野田議員については周知していました。風貌から出るお人柄もお話になっている
様子からも、私としては好感の持てる人格がにじみ出ていて、好きでした。
しばらく影をひそめてしまった感がありますが、頑張っておられることでしょう。野党であっても、日本をよくするためご尽力お願いいたします。
(2022年9月17日)
ついでの話=橋本龍太郎という総理経験のある政治家がいました。この方の媚の売り方は気持ち悪く、橋本議員追っかけ
「おばちゃんファン」が多数いて津田沼駅前に自民党議員の応援演説に来られた時、現場を通りかかり、演説中に
追っかけおばちゃんファンが「龍太郎さーん!!」「龍太郎さん…素敵!」とか言って数人で叫ぶのです。
すると、橋本氏は、にこっーと笑って流し目でそのおばちゃんの集団に向かって答えるのです。「きゃー!」とおばちゃんたちは
胸に指を組んだ両手を合わせて喜びます。「わー!気持ち悪・・・」と寒気がしました。「これなんだ!!この人タレントでは
なく政治家でしょう?」とあきれてしまって、演説を聞く気持ちにはなれず立ち去りました。こんなのも政治の世界でした・・・。
しかしこの時の応援演説に集まった群衆の数、すごかったです。警備の人、お連れの人ぞろぞろいました。安倍元総理が
銃撃された時の様子は、驚きでした。
ミカン箱のような低い台に立って、200人~300人程度の選挙権を持つ民衆に向かって演説されていました。警備の人も
少ない。お家柄の良さに甘えず…自分の実績に胡坐をかかず・・・、あまりにも庶民的で好感と同情が湧いてきました。
「こんなところへも応援に来ることを承諾をするのか・・・?」と・・・。自民党の票を獲得することには、変なプライドは捨てた
人だったのかも・・・?親しみ優先だったのかも・・・?
しかし、ある政治評論家によると、この育ちやお家柄の良さによる、貴族外交は、外交に十分活用して活動したと
語る人がいます。
安倍元総理の国葬
安倍元総理の国葬が行われました。直前まで、国葬会場周辺では反対派のデモ行進と支持派のデモ行進が行われるという異例の国葬の
様子ですが、このデモ行進の違いは、反対派は日本人だけ・・・賛成派は世界中の人々や国旗が掲げられて行進していたことでした。
民主主義国家の、自由に意見が言えるという様相が展開されているとも言えましたが、反対デモは前日までというのが礼儀ではなかった
でしょうか?
静かにお見送りしてあげる国民性であったら良かったのに…と感じました。
国民性や人間性は大切だと思うのです。嫌がらせを思わせる自分の意見を押し通すという姿勢は感心しません。決まっていたこと
なので、今日くらいは死者を静かにお見送りをする国民性であってほしかった。
国葬の決定の仕方に問題があったとしたら・・・後になって、今後の法的根拠をはっきりさせる法を作るべきだと思うのです。
私は、安倍元総理は好い政治家だったと思っていたので、静かに黙とうをしてお見送りしました。
そして、菅元官房長官の弔辞は涙して聞きましたが 盟友(戦友)らしい弔辞でしたし、安倍元総理はこの人無しでは、総理の仕事は
出来なかった助けてだったと思います。
海外からは多分例を見ないほどの弔問者が来日されたと思うのです。大統領でなかった・・・とか、G7の首脳はいないとか・・・
くだらないニュースを流すマスコミは、いったい何を考えているんでしょうか・・・?マスコミの責任をもっと自覚して欲しいです。
自分たちが報道したことがどれ程人の心を動かすのか・・・影響力や発信力があるのか・・・自覚して欲しいと思います。
海外からの評価が高いのは、安倍元総理の功績を示したものだと思います。また、安倍元総理の献花に来た人の一人は、民主主義国家
だから、反対はあって当然・・・と語っていました。自分は安倍元総理に感謝するし献花するが、反対者を排除しない・・・という姿勢でした。
素敵な男性だったと思います。
献花する人々も粛々と静かな行列で、お人柄が伺える人々に愛された安倍元総理だったようです。予定時間をオーバーして献花者が
絶えず、時間を延長しての献花がされているようです。 (2022年9月27日)。
発信力
安倍元総理の国葬のテレビ番組をじっと見ていた私でしたが、感想としては「好い国葬だったし・・・何事もなく終了して良かった・・。」と
思った時間帯でした。
ただ終わってからのマイクロソフト・ニュースなどを見ていて、やはりテレビやNETのニュースの発信力のすごさには、今更ながら驚きます。
菅元官房長官の友人代表の弔辞で読まれた「安倍元総理が読んでいた」という山縣有朋の本が売り切れたと言います。そして葬儀にも
かかわらずその本の中に書かれた短歌が読まれた時、拍手が起こったと・・・普段起きることのない状況があり、今回の国葬は、多々
異例のことが起きていました。
反対意見の多かった国葬ですが、私はそんなに多くの国民が反対したのか疑問です。反対デモに参加した人々は600人程度(主催者側は
10、000人などと言っていますが・・・映像では600人程度に見えますが・・・・)献花に訪れた人は20,000人とも30,000人
とも言われていて、朝早くから並んだ列はピーク時4キロとも5キロとも言われ、3時間待ちだったとか・・。マスコミの反対者が
過半数を超えているという報道も鵜呑みには出来ない内容のようです。
注=献花者は2万5889人とか・・・時間切れで献花できなかった人もいた。献花者が2万5千人越えにもかかわらず粛々と並んだのに
対して、反対者は600人程の人数にもかかわらず、警官と小競り合っていた集団で、福島瑞穂議員と志位共産党委員長がリードした
集団でした。中国やロシアの腹いせや嫌がらせをまねたリーダーシップとも見える。
テレビ局は明らかに意図をもって報道しており、昔、国粋主義的ラジオ放送をしたように、今では明らかにリベラル・・・社会主義的傾向が
報道をリードしている内容が多い・・・。
権力に対して、批判してこき下ろすことが民主主義と勘違いしているようにも見える・・・。
強権的な政治である共産主義も問題ですが、民主主義も問題だらけですね。人間社会の不完全さを痛感してしまいます。しかし、暴力を
伴わない意見の対立は、あって自然なのかもしれません。そしてバランスが保たれるのかもしれません。中国やロシアのように、強制される
従わないと粛清される政治は、異常だし人権がありません。なんだかんだ言っても民主主義だと思います。 (2022年9月30日)
追悼演説
野田佳彦・旧民主党元総理の安倍元総理に対する追悼演説がありました。
涙して聞いてしまいましたが・・・テレビに出演している政治評論家やコメンテーターも「うるっと来た」と語るほど、政治家らしい意味ある
追悼演説でした。
好きだった政治家同士、安倍晋三氏と野田佳彦氏の関係が露わにされたようでもあり、二人とも人格的に優れた政治家だったことが、
表現されていたようでもありました。
野田氏が安倍氏を「単なる論敵ではなく政敵」だったというほどに、二人の激論には、政治家としての理念の戦いがあったと思います。
良い政治家同士だったから激しい論争と政治理念がぶつかって、民主政治の本質を国民に見せてくださったと思いました。
本来、与党と野党の論争はこうあるべきで、今のような「ただ、批判する・・・ただこき下ろす・・・、政治理念の無い、悪口だけの言い分を
放つ野党に、国民はうんざりして、政権交代など皆無に等しい…と思う信頼低下の野党諸党になり下がってしまっていると思うのです。
野田元総理と安倍議員の対決は、政治家の論争として、「政治は本来こうあるべき・・・。」という形を見せていると思います。
そろそろ野党諸党も気付いてほしい・・・若い政治家の方々は野田議員のような政治家を目指してほしい・・・。
そう感じた、野田佳彦議員の追悼演説でした。 (2022年10月26日)
総集編
年末になって、今年一年の出来事の総集編が色々テレビで放映されています。
私はBSフジの「プライムニュース」が好きでよく見ています。司会の反町理キャスターも好きですし、よく呼ばれて出演する経済評論家・
真田幸光氏と元日本経済新聞記者・鈴置高史しのコンビの番組も楽しく拝見している者です。
この今年最後の総集編で、安倍元総理の銃撃に関する番組の、国葬で弔辞を述べた菅元官房長官が出演された時の映像も再報道され、
反町さんが泣き出してしまって、菅元官房長官が言葉に困って緊張していた映像をまた見ることになりました。
反町氏は「安倍元総理」が好きだったことがありありと出てしまった映像でした。ちょっと懐かしかった・・・。
私も「安倍元総理」は好きな政治家だったので、もらい泣きして一緒に泣いたものでした。
この一年、多くの大事件があった中、どうしても頭から離れない大きな事件であったことは確かです。日本はこの先どうなって行くのか・・・
心配になった事件でもありました。
来年は政治だけでなく経済的にも大きく変化してゆくであろうと語る人が多い、変化の年となるようです。
どんな時代になっても、その中を生きてゆかなければならない私たちは、いずれこの地上を離れて天国を目指すものである限り、しばしの
苦労は希望に変えて生き抜いてゆく人生ではあります。
来年はどういう年になるのでしょう。 (2022年12月20日)
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