ブルガリア
2010年7月グローバル・ユースビューロの旅「古きヨーロッパを今に伝える世界遺産の宝庫ブルガリア・
ルーマニア 13日間」
に参加しました。参加者8名とツアーコンダクター総勢9名の旅。関西空港を朝10時
前に出発、フランクフルト経由ソフィア行き、ルフトハンザ航空。関空ーフランクフルト間、フランクフルトー
ソフィア間 共に、ほとんど満席状態。徳島少年少女合唱団がドイツ公演を行うための旅行中で、子供が
キャビンアテンダントさんと記念撮影に夢中で走り回り、かなりお行儀が悪い。引率者も目が届かない様子。
子供の海外旅行なので、キャビンアテンダントさんも大目に見ている様子だが、ちょっと気になる。
フランクフルトでは4時間45分の待ち時間があり、ソフィアまでは2時間15分の旅。少々疲れる。夜遅く
到着してホテルへ。日本との時差は6時間遅れ。期待に満ちた旅が始まる。
 
 
ソフィアでのホテルは「ANEL HOTEL] 絵画でいっぱい。美術館で絵を鑑賞してる感じの
ロビーや廊下の壁。しかし一人で使用した部屋は屋根裏部屋で小さな斜めの窓がついている。
夜は何も感じないが昼間は牢獄部屋の感じ。寝るだけなので問題はない。随分前スイスのベルンで
泊ったホテルの部屋と似ている。ただ ベルンでは、カーテンやベッド・カバーが可愛かったので
「こんな経験も好いもんだ。」位に感じたし、「スイスのホテルにはこんな部屋もあるんだ」と思ったが
ここはシンプルなせいか牢獄部屋に感じる。でも5星のホテルで、ダイヤモンドの指輪を忘れたまま
チェックアウトしてしまった上、4−5日後に問い合わせてもらったにもかかわらず発見された。
帰国後旅行社から返還してもらった。運が良いと言えるのか、流石5星ホテルと言うべき
なのでしょうか?   
 リラの僧院

 二日目はリラの僧院観光。現地ガイドのマリナさんと運転手ビスコさんと共にリラの僧院へ。
 到着する頃には雨になる。傘をさしての観光。内部の美しさは、目を見張るし山の中の地形の
 雰囲気も良く、テレビで見た空からの撮影風景を思い出しながら雰囲気を味いました。
 リラの僧院はブルガリア最大の東方正教教会修道院で、1983年に世界遺産に登録されて
 います。10世紀初め頃に創設されたと言われているそうですが、14世紀にこの地に建て直し
 されたようです。14世紀オスマン・トルコに支配されていた頃、イスラム教が強制されていた
 時代でも、ここだけはブルガリア語での祈りとキリスト教信仰が許されていたと言います。
 その為、ブルガリア正教の伝統が守られ今日に至っていると言います。石造りの正門や頑丈な
 鉄製の門、見張り塔と言った外観はまるで要塞のようですが、典型的な中世時代の建築物
 だと言います。現在では、聖母誕生教会、4つの礼拝堂、300室以上の修道僧室、歴史
 博物館や料理室もありました。また図書室には2万冊の本が保管されていると言います。
 聖母誕生教会には天井や壁がフレスコ画で埋め尽くされ、見事と言う他ありません。
 モチーフは聖書にまつわるもの、時代ごとの生活風景でブルガリア正教の至宝と評価されて
 いるそうです。祭壇にはクルミの木が使われた彫刻が施され、正教教会のルールに従った
 イコン画が配置されています。祭壇の向こうには、部屋が作られていて男性の司祭や
 神父だけが入る事が出来ると言います。歴史博物館には、数々の古い遺物が展示されていて
 ラファエロが作成したと言う十字架が展示されていますが、高さ50cmほどの小さな十字架に
 140もの聖書の場面と1500人もの人物が彫刻されていて12年かけて彫刻がされ、完成した
 時には、目が見えなくなっていたと言います。信じられないほど精密で、執念の様なものを
 感じました。




 
                            ソフィア市内観光

 3日目は午前中、ブルガリアの首都ソフィア市内観光。ソフィアは標高が550メートル。ヨーロッパの首都では2番目に高い
 位置にある。1位はマドリッド(標高655メートル) ソフィアは数々の形の違った教会や宗派の違った教会が存在していた。
 ネオ・ビザンチン様式寺院。モスク。地下教会。ブルガリア正教教会。カトリック教会。プロテスタント教会。ロシア正教教会。
 シナゴーク。その他である。大統領府では、衛兵交代式に出会い、ブルガリアでは唯一の地下鉄の地下道にあるローマ時代の
 遺跡や地下教会、旧共産党本部、国立民族博物館、国立美術館、聖ニコライ・ロシア教会、聖ソフィア教会などの外観を鑑賞
 しながら歩いてアレクサドル・ネフスキー寺院(ブルガリア最大の寺院)へ。 アレクサンドル・ネフスキー寺院は5000人の信者を
 収容する大寺院で、露土戦争の犠牲となったロシア人兵士を慰霊する目的で建てられたと言います。外側に慰霊碑と消える
 事のない、灯が建てられていました。

 ソフィアが首都になったのはトルコから独立した1897年です。ブルガリアの行政の中心地で国会議事堂、大統領府、内閣
 政党本部などが集中しており、数多くの教会、博物館、美術館、劇場、オペラ劇場があります。人口約150万人。
アレクサンドル・ネフスキー 
寺院 
      聖ニコライ・ロシア教会
    
 プロブディフ
 
 
2階3階が段々はみ出している家で有名な街です。
 不思議な感じ。地震は無いのだろうか?建築学上正当な
 建て方なのだろうか。考えてしまう。(左)は歴史博物館。
 装飾が綺麗。(右)はラマルティーヌの家。
 フランス人詩人ラマルティーヌが病気のため、泊めて
 もらったと言う家。素敵な家でした。この街では少しの時間
 フリータム。バラの香りがするお土産を物色し、楽しい
 時間がありました。バラの香りはいい気分になります。
 日本ではとても高価で、なかなか買えません。
 バラの谷でお土産購入の為の下見でした。

 ホテルはノヴォテル・ホテル泊
 
    
カザンラク 
  トラキア人の墓とバラの谷を観光。トラキア人の墓では、割と高い撮影料を支払いましたが、ちょっとがっかりでした。
 興味がある人には珍しいのかもしれません。(マダラの騎士、カザンラクの墳墓、スヴェシュタリの墳墓は考古学価値が高く、
 ユネスコの世界文化遺産に登録されています。)バラの谷でもがっかり。でもバラの香りグッズのお土産をたくさん買い求め
 ました。バラ博物館にも入館。 ここで現地ガイドのマリナさんのご両親が私より一つ若い事が判明しました。ビックリ!!
 悪いけどマリナさん「私に娘がいたとしても、こんなに年取ってるのかしら?」と思える風貌。時間がゆったり流れるお国の
 女性は、日本人ほど若くは無いのかもしれないし、外国人の女性は、老けやすいのかも?なんて・・・。考えたりしました。
 お土産物屋さんはとても小さく、想定外の状態です。こんな所だったのかと心配でしたが、必要なものはありますし、安いです。
 しかし種類は少ない。「プロブディフで買っとけばよかった」と 後の祭りです。バラのジャムとオーデコロンを購入しました。
 
 ブルガリアやルーマニアでは、おおかた館内の撮影料が必要でした。そして教会内部の撮影は禁止されていて撮ることが
 出来ません。正教教会の内部はとても美しく、撮影したい願望がありましたが、神聖な場所として許されない事なのでしょう。
 信仰はこんな形で深まったり、信じるものではないと思う反面、心が洗われる気分になるのはどうしてでしょう。時々
 感動するのは何故なのだろうと不思議でした。フレスコ画を描いた人々の信仰心や彫刻を施した人々の信仰心、そして教会を
 建築したお金持ちの出資者の信仰の表れを感じるのかもしれません。そしてまた この場所にも神が存在して居られるなんて
 感じたのかもしれません。神聖な場所の実感が強く感じられました。
 
 
注=イコン画は文字の読めない人の為の聖書の役割で描かれると聞いたことがあります。まだ文盲の人の多い時代
    信仰や教養・礼節に必要な絵であったと思われます。 
 

ヴェリコ・タルノボ

 
 ブルガリアの京都と言われる古都。ガイドのマリナさんの出身大学がありました。
 ブルガリアで2番目に人気の大学と言っていました。琴欧州の出身地の近くでもあります。
 到着後、職人の街サモヴォドスカ・チャルシャを観光。チャルシャは「市場」と言う意味で、
 手工芸品を売る店がある通り。手作りのポシェットとバラの香りのシャンプーを購入しました。
 丁度「我慢くらべ」のお祭中でテレビ撮影などをしています。暑い夏、毛皮を着て暑さを
 我慢して時間を過ごしています。(写真右)
 ヴェリコ・タルノボは川を中心にした街で、谷に家々が傾斜に沿って建てられていて、
 ツァレベッツの丘の上には近代的な絵画で聖書の物語がフレスコ画で描かれた教会が
 ありました。この丘は丘全体が宮殿だったとか。オスマントルコに破壊されました。
 そして再建されなかったと言います。のんびりとした風情が心地よい古都です。
 ホテルでの夕食は、弾き語りの男性の生演奏を聞きながらのディナーでしたが、
 惹きつける歌唱力で日本の歌を歌ってくれ、感動でした。
 特に沖縄の歌「島歌」は圧巻でした。メンバーの一人は、歌手の目の前まで進み
 踊りだしたほどです。声量のある語る様な歌い方に、ほれぼれと聞きいったものです。
 日本の歌が心地よかった時間でした。

 次の日 朝食後、朝の街を散策。静かで通常の生活感が漂っています。昨日のお祭りは
 もう過ぎた一日と言う感じで、普段の一日が始まっていました。静かな古都の朝でした。

 ホテルはヤントラ・グランド・ホテル=窓からの風景が素敵。夜景も日の出も綺麗で満足。
                       部屋は広いが簡素。


   
アルバナス村
 キリスト生誕教会を観光。外観は教会らしくありませんが
 内部は美しいフレスコ画で埋め尽くされていました。
 アルバナシで最も古い教会だそうです。キリスト教では
 珍しいと思うのですが、男性の祈りの部屋と女性や子供が
 祈る部屋が別でした。多くのイコンやフレスコ画は文字の
 読めない人々の教科書(聖書)となったと言う事です。
 (写真左)
 コンスタンツァリエフ・ハウスというオスマントルコ時代の
 裕福な貴族の家も見学しましたが、まるでトルコの家を
 思わせました。御土産店では、あまりのお酒の種類の
 多さに驚きました。見るだけで楽しめる形や色に感動でした。  
    
ブルガリアで食した料理 
ショプスカ・サラダ タラトールとアイラン サチ バクラヴァ
きゅうりとトマトの
上に山羊のチーズ 
 ヨーグルトの冷製スープ
飲物は薄いヨーグルト
チキン、ポーク、野菜
の鉄板焼き 
シロップ漬けの甘い
焼き菓子
(ブルガリア名物) 

ブルガリア料理について

   ブルガリア料理にはキリスト教の行事が大きな影響を与えていると言います。アキアと言う蒸留酒とサラダと言う
   コンビネーションが多いそうですが、各地方の地名が料理の名前に付けられている事が多いと言います。
   タラトールと言う ヨーグルトの冷製スープを始めシュケンベと言う内臓のスープ、白いんげん豆のスープなどのスープ。
   ビュレック風パプリカ(チーズとパプリカの料理)キョポル(焼きナスと焼きピーマンの前菜)バンスコ風カルバマ(肉と
   野菜をトマト味で煮込んだ土鍋料理) 子羊の串焼き、薄生地で作られるパイのバニツァ パタトニクというポテトで
   作られるパンなど多くの郷土料理があると言われていますが、バニツァとヨーグルトと言うのがブルガリア人の好物
   だそうです。はちみつやワイン、ビールも美味しいと言われ、少しづつ食してみました。まあまあです。
   しかし慣れない料理は、多少小食になりました。
 
 
イヴァノヴォ岩窟教会  
 
 バスを降りてから、山に向かってかなり歩いてやっと、到着する洞窟教会。 
 1979年に世界遺産に登録されたと言います。 キリスト教の修道士たちが洞窟を掘った
 教会を作り始め、最盛期には300もの洞窟教会があったといいます。
 山深い岩に掘られた教会はちょっと異様でした。当時は一流の画家が招かれ壁画が
 描かれたと言います。岩の壁に壁画が残っていますが、その良さは理解出来ませんでした。
 でも こんな旅もなんだか悪くないと感じたのは、何故でしょう。
 祈りの場所の片鱗を感じたのでしょうか。
 
 その後ルーマニアとの国境の町ルセに向いブルガリアを案内して頂いたマリナさんと
 ヴィスコさんと別れ、ルーマニアを案内して頂くガイド カティさんと運転手ドリンさんに
 バトンタッチです。陸続きの越境でのパスポートコントロールを済ませ、ル−マニアの
 ブカレストへ向かいました。ブルガリアとルーマニアの国境はドナウ川の真ん中に
 あるのだそうです。