日ユ同化論信じるか・・・?ー1
You Yubeに「Will Biz」というものがあり、その番組で、田中英道東北大学名誉教授と茂木誠氏との共著「日本とユダヤの古代史&
世界史」を題材にした番組を見ました。
このWill Bizという番組気に入ってよく見ています。
ここで掲載された「日本とユダヤの古代史&世界史」についての内容がとても面白く、最後まで真剣に聞いてしまいました。
以前から「日ユ同祖論」という都市伝説があり「信じるか信じないかはあなた次第・・・。」なんて言われてきましたが、この書の内容は、
信じてしまうような内容になっていますし、ユダヤ人の人の中には信じたくて、その証拠となるものを探し求めて日本中を捜し
歩いている人もいるようです。
この中で、この先生は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の対立を「近親憎悪」と表現されていて、日本は、本来の日本人には
兄弟殺し合いなど起こらない穏やかな民族であるにもかかわらず、殺し合いや暴力・荒々しいが生じている(ヤマトタケルや
すさのう)のには・・異民族の侵入があったとの判断のようです。
確かに「旧約聖書」の中には「カインとアベル」の兄弟殺しが記載されていて、こうしたことが起こる人間の本質が書き記されて
います。
しかし日本特有の原住民は、相手を疑わない・歓迎する民族で、侵入したユダヤ民族は日本の緑豊かな水の多い肥沃な大地を
理想の地と感じ、気に入って同化して住み着いた・・・そしてそれまでの神を忘れたという考えです。
聞いていると、殺しあったり憎しみや嫉妬・悪口・盗み他は異民族が持ち込んだ…という風に聞こえる・・・。
しかしながら、もともと持っていた人を疑わない…生善説民族日本人が異民族に持ち込まれて性質を持って行ったが・・・もともとの
性質・生善説も残っていて現在の日本人があるかのように聞こえてきました。
そして以前聞いた都市伝説「古代イスラエルがアッシリアやバビロニアに滅ぼされて消えた10部族が、大陸を東に向かってやって
きて日本にたどり着いた。」という説はユダヤ民族移住説第3波で、それまでに海を渡って第一波・第2波のユダヤ民族が日本に
来ていた。」とこの先生は判断するのです。
モーセによって導かれエジプトから脱出した後、シナイ半島でカナンの地を求めて40年間もの間彷徨っていた時、海から東に
向かって一部のユダヤ民族が日本にたどり着いていると推測しています。
そしてそれは、縄文時代の埴輪に証拠が残されていて今でも残されている
ユダヤ民族の髪型・ミズラ(ペイオト)を付け帽子をかぶり・鼻が高い人の
埴輪が残っている。それが証拠であると語ります。原住民の日本人がする
髪型にはペイオト風ミズラはない。
注記=ペイオトとは、正統派のユダヤ教徒がしている髪型(もみあげ)で、
旧約聖書のレビ記に、「あなたがたの頭の鬢(びん)の毛を剃り落しては
ならない。」と書かれていることを守ってのばし、ねじった形にカールして
いるもので、キッパという丸い帽子を被った上に黒の山高帽をかぶって
いる場合が多いようです。
また、蘇我氏とはキリストの蘇りに由来していて、キリスト教・ネストリウス派
であるとも語ります。
縄文時代に一神教・ネストリウス派が伝来していたと言っています。
(蘇我氏は第五波のユダヤ民族渡来説を語っておられる。)
武器を持たず戦わない日本民族に異民族が武器を持って来て、戦う事や
殺人を知ったという考えですが、日本の場合ユダヤ民族に征服されず、
ユダヤの髪型や帽子・民族意識を取り去り、ユダヤ民族が日本に同化して、
優秀な技術力や知識力ほかを日本の地で発揮して、現在の日本民族に
発展していると言うのです。
それに、「ユダヤ人は日本人に理想を持っている」・・・と田中先生は思って
おられる。
確かにそういう人たちも多いと感じます。どこかに共通する意識があり
理解しやすいのだと感じる歴史があります。日露戦争の時代、日本は
あちこちに日本の国債を買ってもらってお金を作ろうとしましたが、見向きも
されませんでした。しかし、最後に日本が負けて大損するリスクを顧みない
世界的大金持ちのユダヤ人(ヤコブ・シフ)が国債を買ってくれそのお金で
軍事を整え勝利した歴史があります。
注記=埴輪は、宇宙人のような人の像も多い、食器と思われるもの、
動物など、繊細で緻密・芸術性に優れたものがあり、古代の作品とは
思えないほど進化した芸術といえ、感動します。
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注記2=富裕家ユダヤ人ヤコブ・シフが日本にお金を出資したのは、日本に協力したというより、ただロシアのユダヤ人弾圧に
対する対抗策に日本を利用したに過ぎない。ロシアで起きた大規模なポログラム(虐殺)の報復のため・・・双方の利害が
一致したに過ぎない・・・と田中先生は「ユダヤ人埴輪があった。」という書籍で書いていられます。ヤコブ・シフ自身も
それを語っているという。
また、ユダヤ人と日本人に関する本はバカ売れする傾向があります。以前「日本人とユダヤ人」というイザヤ・ベンダサン
(山本七平氏)の本もバカ売れで、私も買って読んだものです。この「日本とユダヤの古代史&世界史」もすごく売れているようで、
日本人はユダヤ民族との関わりに関心が高いとも言えそうです。
この本「日本とユダヤの古代史&世界史」今、アマゾンの「キンドル」で買ってダウンロードして、読み始めました。
(2023年12月20日)
注記=ユダヤ人とは民族というより、ユダヤ教(ヤハウェイの神を信じている者)を信じる人々をを指すようです。この本によると、
頑固にこの神を信じ続け教えを守って歴史を生きてきた人々と、自由に信仰もしきたりも緩めてグローバル化したり他民族に
同化している人々に二分されると言います。
日ユ同化論信じるか・・・?ー2
「日本とユダヤの古代史&世界史」読んでみた。プロテスタント・クリスチャンで多少、旧約聖書やユダヤ人について知識がある
私にとって面白い書でした。
しかし、日本人でありながら、「日本書紀」や「古事記」についてよく知らない・・・また縄文時f代から平安時代くらいまでの歴史も
あまり知らない、この日本の歴史教育は間違っていない・・・・?と思います。
戦後生まれの私たちは、歴史の教育が何か操作され・・古代日本人の歴史を消された・・・・進駐軍に情報操作された教育を受けて
いなかったか?とも思えます。
ただ、余りに強い愛国教育をされ、嘘を教えられている国(身近な中国や韓国)の教育も、どうかとも思えることから、これで
良かったのかも・・・?とも受け取れる。
しかしこの年(77歳)になって、こうした本を読むと、客観的に我が国の歴史に触れる事も出来ているようで、面白い。
この書によると、縄文時代からキリスト教的宗教は伝来していて「厩戸皇子」とか「三種の神器」とか「蘇我氏(我蘇りなり)」ほか
キリスト教やユダヤ教に似ていいる考え方や習慣はかなり多く日本文化の中に浸透していて不思議です。
山伏・能や歌舞伎の天狗のお面・もりや・祇園・過ぎ越し・思い出せないほどに共通点が羅列してありました。
しかし田中先生によると、ユダヤ人の暴力性・残虐性・狡猾性・ほか・・・・あまり良い民族とは書かれていない部分もあるにも
かかわらず、日本民族に多大な影響を与え同化していて、日本文化に大いに関与・貢献していると語っておられるように
感じました。
そして渡来したユダヤ民族は、日本に原始キリスト教を根付かせようとしたが、失敗したとお考えでした。
私の考えでは、一神教は排他的だし、主義を押し付け傲慢だし、信仰を理由に搾取し服従させ、それまでの文化を抹殺してきた。
多神教は受け入れません。そういう民族にはなれない日本民族性が失敗させたとも言えそうです。
これ一応は「ヤハウェイ」の神=キリストの神は「愛の神」「平和の神」と言われていますが、聖職者や宣教者、十字軍が政治力と
共に実態を変えています。残念なことですが、人間の権力欲が信仰を利用しているとも言えます。
日本の古くからの文化は和を重んずるに、多様性を認める文化・民族なんだとも思えます。多神教は信仰で争わないし自然が
信仰対象。
自然の食べ物を頂く・・・神を食べて生きる民族。「いただきます。」と手を合わせて食べるのは、食べ物(神)に感謝して神を
食べるのだと「ご馳走様」は神を食べさせて頂きありがとうございます・・・のお礼だと書かれていた。
しかし日本の場合も天皇を神として一つにまとまろうとした時、失敗しています。やはり人間の本質でしょう。宗教と政治・軍事は
分離するのが良いと思います。信仰は個人の自由だし、強制されるものではない・・・教えが強すぎても方向を見誤る。
難しいものだと思います。
田中先生は、歴史の変わり目にあって日本は常に話し合える存在でありたい、と書かれています。同感です。
「ユダヤ人と日本人の古代における文化交流」について知ってみると「中国や朝鮮と異なる確固たるオリジナルの日本文化が
あることに日本人は気付くべき」と書かれた気持ちがよく理解で来ます。この本を読んだことで、今まで見えなかったものが見えて
来たようにも思えました。古墳遺跡や博物館で出土品を見て確かめたい気持ちが湧いてきました。(2023年12月26日)
日ユ同化論信じるか・・・?ー3
田中英道先生の「ユダヤ人埴輪があった!」を「キンドル」で買って読んでみた。
これもまた、日本の古代史とユダヤ人の関係を調べて考察した歴史的書物です。
ユダヤ人の原始キリスト教に改宗したエルサレム教団が、ローマ帝国から追放されて東に向かって来た人々が秦氏と名乗って
いたこと。
秦氏は漢民族にとって「外の人々」という意味であって、「秦氏」とは、「ユダ族」を意味し、「イスラエルの王権を継承し、神の都を
再建する使命を担ったユダ族の末裔」とする説を唱えておられる。
そして、You Yubeなどに出演している山伏の家系の人などが語る古代史の歴史も、ほとんどが同じ話をしている・・・・歴史的には
同じ考えのようです。そして、外から日本に渡来しただけではなく、日本から西方に向かっても進出しているようで、中国や
朝鮮半島から一方方向から文化が伝わったのではなく、日本の文化も海から朝鮮半島や中国から外に持ち出していることを
語っています。
納得です。
八世紀奈良時代に道鏡事件というのがあり、道鏡を天皇につけ天下安泰を狙った事件があったと言いますが、和気清麻呂が
道鏡が天皇に就くことを防いだという事件です。
和気清麻呂は秦氏系神社の宇佐神社から信託を受けてこれを阻止したと言い秦氏(所謂ユダヤ系民族)は、日本の信仰形態を
非常に評価し日本の信仰形態を壊そうとはしなかった・・・と田中先生は判断しています。秦氏は宇佐神社・八幡宮・稲荷神社ほか
日本全国に神社を作ったと言います。
ユダヤ民族は、日本のやり方と生き方に服し、完全に日本に同化した渡来人と言ってよい・・・と書いています。ユダヤ系の人々は
理想郷を日本にみたのだと語ります。
そして、ユダヤ埴輪は、そんな彼らの思いをかたどったものだと言えると書いています。
私自身もクリスチャンでありながら、神社の雰囲気は好きで、神社の境内にいると心が落ち着きますし、何故か生きるパワーや
神聖な神の世界の空気を感じます。理屈ではなく体で感じるインスピレーションとでもいう感覚です。教えのない体感ではありますが。
言葉で教えられたり強制される感覚ではなく、無言で感じる神の世界の空気…というイメージです。
双方に共通しているのは、「いのり」と「感謝」がすべて・・・という信仰です。キリスト教も「いのり」と「感謝」が真髄です。祈りと
感謝無しに信仰は成り立ちません。神道は「感謝」や「いのり」のみ・・・。感謝と祈りに全てが込められています。
こういうところを見ると、信仰は、「へたに理屈を付けない・・・」祈りと感謝の世界が純粋な信仰・・と思えます。救われるかどうかは、
どの神を信じているかではなく、信仰が純粋だったかどうかにかかっているとも思えてなりません。
注記=キリスト教に出会う前、子供のころは、おばあちゃんから「ご先祖様に感謝・・・神様に感謝。」ばかりを一つ覚えのように
教えられました。どうも我が家では、神道も禅宗の仏教も感謝が優先していたように思います。そしてこの神様、
おてんとう様が神様だったのかも?なにが神様だったのでしょう。おばあちゃんは神様としか言わなかったが・・・・。
しかしこの神様、多くの神ではなく、一つの同じ神様が、ここにもあそこにも何処にも居られるという感じではありました。
こうでなくてはいけない・・・・ということの強い信仰には人間の間に問題を生じる余地が多く潜んでしまう・・・だから「平和の神」
「愛の神」であるキリストの名のもとに中南米などでは、宗教を改宗させそれまでの文化や信仰を抹殺して、多くの物質を搾取して
属国にしていました。
これは人間が宗教を利用した侵略だったと言えそうです。理屈はどうにでも説明できるのが人間社会です。
一神教の問題は「私が神だ。私でなくては救われない・・・。ほかの神を信じたり、像を作ったりしてはいけない。
教えはこうなのです・・と説明して神の言葉として洗脳する。」という脅しや洗脳が人間に問題を生じさせていると思います。
それ以外の信仰の形を忌み嫌わせるのです。
「旧統一教会」などは「この人でなくては救えない、この宗教を外れると地獄に落ちる・・。」という教えが強迫観念となっている
信仰と思われます。
宗教は脅しであってはいけない…と思うのです。渡来人であったユダヤ系の人々は、日本の宗教には脅しが無いことに
気付いたのではないかと私は想像します。
日本の信仰は信者側からの一方的なもの・・・「私以外は神でない・・・」とか「私でなくては救えない・・・」とか「あなたが
得たもののもっとも良いものを私に捧げよ・・・」というような要求をしない相手を一方的に畏れ多い方と思って感謝して祈っている
信仰なのです。御利益など要求はしていない・・・ただただ祈るだけ・・・祈りることで頑張る気持ちが湧いてくる…希望が
持てる、そして結果を受け入れる祈りなのです。
日本の信仰を御利益主義と印象付けたのは、他信仰を忌み嫌う人たちであると私は思います。
「ユダヤ系の人々は理想郷を日本にみたのだ」と言うのには脅しの無い信仰こそ本物・・・・と感じている私と同じ感覚を
知ったのではないかと私は思ってしまうのです。 (2024年1月6日)
追記=田中英道先生の「ユダヤ人埴輪があった!」75%読破中。
後半、この先生の主観には、「歴史をもう一度見直して、日本というものの新しい歴史観を構築して行くことが重要・・・。」と
ありました。
「西欧のキリスト教や近代史観に含まれている異質なものを見分け、その誤りを突いていかねばならない。」とも書かれています。
同感する一面があります。キリスト教の「ただ信ぜよ・・・。」は危険です。一種の暴君の奴隷でもあります。どう信仰するかが
大切だと思います。
間違いだらけの人間が、神の言葉を語って服従させていることが問題を生じさせているとも言えます。
人間が自然や動物を管理する・・と言う考え方にも疑問があります。人間は間違いだらけの動物だからです。
神様が、神より少しだけ劣る生き物として人間を作ったという…考えにも疑問があります。そんなに立派な生き物とは思えない…
むしろ自然の生き物にも劣る場合がある・・・強欲です。権力欲や支配欲、富裕欲、、独占欲・・・欲にきりが無いのです。
そんな人間にこの自然や社会を託した神は初めから御自分が間違ったとも言えます。ただ不思議なことに旧約聖書には
御自分が作った人間をいずれ滅ぼす・・・と書いてあったと思います。作ったと同時に滅ぼす・・・どういう考えなのか・・・
理解しがたい面もあります。
田中先生は「西欧特有の強迫観念を捨てることが必要と書かれている。納得です。しかし、日本の神道には、ユダヤ教や
キリスト教と相通ずるものも多い、全面否定する気持ちも湧いてきません。
日本のただただ感謝する信仰も漠然としていて、手本になる生き方が具体的に示してくれることに従いたい性格の人々には、
物足りないのかもしれません。
「よーく考えよ・・・地球は大事だよ・・・祖先も大事だよ・・・これからの世界も大事だよ・・・変化は必要だよー。」という事でしょうか。
(2024年1月15日)
注記=この田中先生の二つの書の中に「ディアスポラ」という言葉が出てきます。離散民族という意味だとか。ユダヤ人は
マサダの砦で古代ローマ帝国との戦いに負けて、「ローマ帝国の奴隷になるよりは自由を選ぶ」と砦で戦った全員が
集団自決しました。この時からユダヤ民族は「ディアスポラ」と言われるようになったと言われているようです。
私はイスラエル旅行をした時、この「マサダの砦」に登りました。周り全域見渡す限り全くの荒れ地で何一つ残らない
荒野でした。
以前は水も豊かな緑地だった土地を、ローマ軍は徹底的に壊して二度と住めない荒れ地にしたと言われていますが、
長年経っても緑地には復活できず、余りにも荒れ果てた荒野でした。
注記2=この書には次のようなことも書かれています。『日本人は善意に溢れているから善意のみでヤコブ・シフに感謝するけれど、
それは一面のみであり、戦争を起こして利益を手にする人達がいる、という認識を持ちましょう。』とも書いておられます。
また、『ユダヤ人は国を持たない感覚であるため、革命であろうと戦争であろうと反ロシアということで一致すれば、お金は
何処にでも出すそうした20世紀の、一つのユダヤ支配について深刻に受け止める必要がある・・・。』とも書かれていました。
私の想像では、ユダヤ人の一部は狡猾に黒幕に徹してお金の権力を行使して、世の中を自由自在に操っていた裏世界
(所謂ディープステート)があって、それに気付くべきだと言われているようにも感じました。
日本民族はそうしたユダヤ民族の渡来にも、翻弄・影響はされたが征服されず、その優秀さを啓修し独特の日本文化を
保ち続けた国民だったと言えるのかもしれません。
正に、本居宣長が言った「唐心(渡来した考え方)から大和心へ・・・」だったのでしょう。
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