はまったドラマ3

はまったドラマ-3(坂の上の雲ー1)

 NHKオンデマンドのドラマ「坂の上の雲」を見始めました。2009年のドラマで、3年にわたって放映された壮大なドラマ。年末に
 3年に分けての放送だったと記憶しています。そして、現在は「スペシャルドラマ」としてオンデマンドで見ることが出来ます。

 司馬遼太郎さんはこの歴史小説を10年もの歳月を費やして壮大に書き上げたと言います。長編歴史小説で私は読むのに踏破出来て
 いませんでした。

 久しぶりに見ていますが、やはり壮大ですごいドラマです。伊予松山が舞台となっているため、松山に住む私にも親しみがありますし
 現在使われなくなった「伊予弁」も懐かしいです。子供の頃「だんだん」「がいに・・・」ほか「使っていたなー」と思い出します。
 舞台となっている場所にも「ああーあそこでロケをしたんだなー」って判る場所もあります。

 コロナで外出自粛をしていますので、続けてみてゆこうと思います。出演者も素敵ですね。魅了されています。内容だけでなく
 映像や演技者にも魅了されて・・・坂の上の雲記念館にまた行って見ようと思っています。続きを見るのが楽しみです。
                       (2021年5月18日)

 追記=私のおじいちゃんは日露戦争に行って生きて帰った人でした。そしておじいちゃんの明治生まれの弟・二人が明治時代に
     東京帝国大学と早稲田大学に行って勉強した人がいます。

     そのころは徳島まで歩いて行き和歌山に船で渡り、和歌山から船に乗り横浜まで行って横浜から汽車に乗ったと話していたのを
     覚えています。記憶違いだったなら申し訳ありません。

     東海道線が開通した後だったか、まだ開通していない時代だったかは記憶していません。明治何年に東京に向かったのか
     覚えていないのですが、そういうルートもあったという時代だったと記憶しています。
     「よく聞いて覚えておけばよかった・・。」と今になって残念です。おじいちゃんも二人の弟もみんなとっくに亡くなって
     いますから・・・。

     このドラマでは、秋山兄弟や正岡子規は、船で三津浜から神戸まで行って船を乗り換え、横浜に着き汽車に乗ったと
     ナレーションされていました。

     そしておじいちゃんは、小さな私たちに日露戦争で体験したことをよく話して聞かせてくれました。でも小さくて興味がなく
     聞いたふりしてすぐ忘れてしまいました。

     長兄の提案でテープレコーダーで録音して言葉で残していたのですが、台風で裏山が崩れて大きな家が倒れ埋もれてしまい
     実家の貴重品は全て失くしてしまいました。



はまったドラマ-3(坂の上の雲ー2)

 第4話まで進みました。日清戦争が終わったところまでです。第二次世界大戦まで日本は、男性が政治や軍事を動かしていたのです。
 女性は後方の家庭を守り、子を産み育てることに専念し、男性のサポートと無事を祈って生きていた事実が表現されています。

 しかし、戦争はよろしくない・・・でも世界の様子が戦争をせず進展してゆくことは無理だったであろう時代であったことを感じずには
 おれません。

 そして男性たちは、苦しみや悲惨を乗り越え戦わなければならない心との戦いでもあったとも言えます。好んで戦争した人ばかりでは
 ないことを知る必要もあると感じます。

 友や知人・部下を失っても国の存続を優先して歴史と闘っていたとも言えそうです。戦争を批判するのは容易いですが、この時代が無ければ
 今の日本はなかったとも言えるのです。

 わたしのおじいちゃんの話をしますと、無口で黙々と働く穏やかな人柄でしたが、何時だったか町で唯一の映画館に嵐寛寿郎さんが
 明治天皇役をされた「明治天皇と日露戦争」と言う映画に連れて行ってもらったことがありました。私がまだ小学生の子供だった頃です。

 その時おじいちゃんは、嵐寛寿郎さん演じる明治天皇を見て、うつむいて「くっ!くっ!」と声をかみ殺して泣いていました。驚きでした。
 そんなおじいちゃんを見たのは最初で最期でした。それほど、おじいちゃんには明治天皇の存在が重かったと思われます。そして、
 おじいちゃんは日露戦争に出兵して戦った人でした。

 この平和で豊かな時代に生きる私たちは、この時代の戦争を批判することは冒涜かも知れません。

 今後世界中で戦争を嫌い、極力戦争をしない外交を続けることを優先する時代へと向かう努力はすべきですが、歴史の批判はしたくない
 気持ちが残ってしまいました。         (2021年5月20日)



はまったドラマ-3(坂の上の雲ー3)

 7話まで見終えました。7話で正岡子規は死んでしまいます。香川照之さん他の演技者の演技のすごさもあって、涙なしには
 見られない7話でした。妹の「りつ」さんは真之さんが好きだったと思います。真之さんもきっと・・・・。時代は自由な結婚を
 許さなかったのでしょうか。

 お互い心に秘めたまま、違った道に進んでゆくようです。

 今、俳句はバラエティーテレビ番組で、面白おかしく放映されてはいますが、俳句の原則は忠実に守られていて、多くの国民の
 興味を引いていると思います。

 そして「俳句甲子園」なる、高校生の戦いもあって教養・日本語文化を広め、また高めつつあります。

 正岡子規の功績は大きく、松山を有名にしてくれていますし、所々に俳句を投函するポストが設置されている松山。生活に溶け込んで
 いる日本語文化です。

 またこれまでの5回・6回・7回では、若い精鋭が外国へ留学して欧米の知識や考え方を吸収して日本の文明を開花させようとしています。
 貧しかったこの小さな日本国が、ほかのアジアの国々に先んじて発展したのには、この時代の将来に向けた戦略が正しかったのかも
 しれません。明治の人々のすごさを改めて感じます。おじいちゃんを見ていても、背筋が伸びる崇高さを漂わせて生きていましたから・・・。
 そしてその妻、おばあちゃんも江戸時代の武士の妻を思わせる昔気質がありました。頑固でしたが、凛としていました。
                (2021年5月25日)



はまったドラマ-3(坂の上の雲ー4)

 壮大な歴史ドラマですが、段々重くなってきて毎日は見ることが出来なくなりました。

 8回と9回は「日露戦争」前半までです。第3部に移りますが、一年先の暮れ放送予定の予告がされています。こんなに重いドラマだと
 やはり3年越しで見るのが正解なのかもしれません。

 9回で真之の親友・広瀬少佐が死んでしまいます。男たちの戦いが気力との戦いであることが悲愴です。男には男の心の戦いがあり、
 女たちには女たちの耐える戦いがあったようです。この平和な時代に生きる私たちは、この歴史あっての上に生きていることに感謝するべき
 なのかもしれません。涙なしには見られませんでした。

 広瀬少佐は海に浮いていた死体が見つけられ、ロシア軍隊においてギリシャ正教による葬儀がされたと旅順の新聞に発表されて
 いるそうです。

 また、真之さんは妻を迎えました。華族出身の令嬢ですが、律さんと仲良しになります。戦争で真之さんが戦死しないかと言う恐怖を
 二人で支えあうようです。同志になったのでしょうか。昔の女性は理性的でしたね。分相応を心得ているとしか思えません。

 ちょっと重くなってきましたので、少し休んで「第3部(10回~13回)」を見たいと思います。      (2021年5月29日)