母が天国へー1
先日母が亡くなってしまいました。享年101歳でした。長生きです。10日ほど前から食べなくなって点滴をしてもらっていましたが、
急に天国に上って行ってしまいました・・・・。きっと父が迎えに来たのでしょう。
私、6月半ば頃に父の昔話をこのHPの「ひとりごと」に書き込みをして、「父が母にぞっこんほれ込んでいたが、101歳の母をまだ迎えに
来ません。天国で好い関係の女性が出来ていないことを願っている・・・・。」などと冗談で書き込んだ1ケ月位経った頃から母は、ものを
食べなくなって、体力がなくなって行きました。
天国にいる父に、母への思いを思い出させたでしょうか・・・?「早く迎えに来てあげて・・・・。」との意味ではなかったけど、ちょっと
気になります。
しかし、コロナで縛らく会えなかったので、様子はわかりませんが、時々面会を許可されていた兄の話では、元気だったようなので、突然と
言えば突然急変してしまいました。
ただ、面会が許されていた頃から・・・ただ生きているだけ…という状態で、「長く生きるのも面白いこともないようだ・・・。」と感じていたので、
父が迎えに来たのなら、これで良かった・・・、と思えます。よく長生きしてくれました。私たちに生き様を見せてくれて、何かを教えていた
ようでもあります。 (2021年7月30日)
母が天国へー2
お通夜と葬儀がコロナの中行われました。
近しい親戚も参列して頂き静かにとり行われ
好いお葬式でした。
綺麗な顔をして眠っていて、安心して見送り
ました。
クリスチャンである私から見ると、仏式の
お葬式は行きとどき過ぎと感じるほど
丁寧で、資金もかかります。 |
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そして、仏事が度々行われるため、しばらくは忙しいことでしょう。キリスト教では、葬儀と納骨だけの簡素なものですが、毎年イースターの日に
先に召天された方々を偲んで、教会の共同墓地で「墓前礼拝」をして「天国で会いましょう。」という合言葉のもとに知人を思い起こしていますが、
仏式での喪主の兄は経済的にも大変でしょう。そして、「お疲れ様・・・」という感じでした。母には「お父さんのところにお行きよ。迷われんよ。」
と、死顔に声掛けしておきました。父と同じ場所を目指して旅していると思います。
働き者で気丈な母は、まあ人に愛され、夫や子供に愛され、親戚にも慕われ、幸せだったと思います。「おかあさん!これで良かったね。」
追記=実家の宗教は仏教(曹洞宗・総本山は永平寺)神仏混合で三島神社も信仰しています。 (2021年7月31日) |
母が天国へー3
火葬場へ母と同行してお骨を拾いましたが、驚きは、今まで見たことのないほど焼いた死体の骨がしっかりしていて、大腿骨や頭他がしっかり
形として残ってたことです。
元気で足腰の強かった母らしいお骨の状態だし、骨壺に入りきらないほどの量が残っていて驚きでした。焼き場の担当職員が、「普通はこの半分
位のお骨の量です。」と言っていました。
長生きしたはずです・・・・元気で働き者だった証拠が、火葬した後の骨の状態に残っていました。
しかし、死ぬことも決して悪くない・・・。いつまでも生きても、楽しくはないように思える・・・。新しい世界に飛び立って、新しい生き方をする
時期ってある・・・。と感じてしまいます。
私にとっては、死は終わりではなく、移住でしかないので、母は違った場所で生きるであろう…と思えています。
きっと好い世界だと信じています。 (2021年8月1日)
母が天国へー4
お葬式の後、火葬場に行って火葬してお骨を拾って帰りましたが、その時母の一番末の弟である叔父さんと話をしました。
父が母を大好きだった話をすると叔父さんは、「お母さんも直志さんの事が好きだったよ。」というのです。「そうですかそれは知りませんでした。」
と返すと、「縁談の話はたくさんあったけど首を縦にふらなかった・・・直志さんが貰いに来るのを待っていたんだ・・・。」と言うのです。
父はどうもその当時の流行のイケメンで学校も優秀な成績で卒業した秀才で、その地方の役目も多くしていた有名人で、多くの女性が
狙っていた・・。」と叔父さんは言います。多少盛っているとは思いますが、ある程度真実だとは思います。
それにもかかわらず母は、父の不満ばかり言っていて、父が一方的に好きになって結婚したがっていたように私たちに話していました。
「なんだ、やっぱり相思相愛の結婚だったじゃない・・・。」と私は事実を初めて知りました。
しかし、母は父がぼんぼん気質で、不器用な男性だったことを結婚して知ったのでしょう。そんな父にいら立ち、結構辛辣な発言をして父を
馬鹿にしているように感じた父親似の私は、「あんな大人の女性にはなりたくない・・・。」と母に批判的でした。
だから結婚する男性は、「尊敬できる部分がある人を受け入れよう・・。」と思っていたこともあり、好きになる最初の段階が、性格だったり、
考え方だったり、生き方だったり、才能だったり・・・どこかに尊敬の気持ちを持てる人を好きになりました。背が高く、イケメンで、
高収入・高学歴の職業、財産家・・・、などの条件は考えて無く、気にしていませんでした。
まあ、半面教師として母は、私に教えてくれたのかもしれません。私は夫と喧嘩はしますが、嫌いになったことも、離婚したいと思ったことも
一度もありません。結構男性運は良い女性だったと満足しています。
母も初心に帰って、再び父の思いを思い出して、父のもとへ向かって欲しいと願っています。 (2021年8月2日)
母が天国へー5(心にあいた穴)
どうもおかしい、体の力が抜けたままかったるい・・・・。夏バテか・・・・? 母が死んだせいか・・・? やる気が無くなってしまう・・・・。
母はしばらくの間介護施設にいて、ここ1年ほどコロナで面会を断られていました。そして私にとっては、山あり谷ありの親娘関係で、
そんなに好きでたまらない母であったか疑問だったのに・・、気持ちがしっかりできない・・・。お通夜や葬儀などでは気丈で居たのに・・・、
涙もなく、笑顔で見送れたのに・・・どうしてかここに来て脱落感が襲ってきた。べつに、寂しくもなく涙も出ません。だのに脱落感だけやって来た。
やはり母親って存在は大きかったということなのか・・・・?いや、たぶん夏バテだろう。母は反面教師だったし、私が、母と上手くいって
なかった姑に似ていると嫌っていた子供だったから、ちょっとしたいじめも受けていた。そのせいもあって、私は母を尊敬できていなかった。
注=いじめらしき事を母がしていたのは、小6~中3までで、中3の終わりに私が大病をしてから母は、意地悪をしなくなりました。
やはり母親だったということでしょうか・・・?何か感じるところ(反省らしきもの)があったやもしれません。
母の死って何なんでしょう? こんなにこたえるものなのか・・・?
夏でなくても、こんなに脱落感があったのだろうか・・・?心に少し穴が開いて、気力ガ少しづつ漏れていっているのだろう、かったるくて
今日も教会の礼拝を休みたくなってきた・・・・。来週は必ず今までのように、日曜には礼拝に行く生活のリズムに戻ろう・・・。今日は
主日礼拝はお休みしよう。 (2021年8月8日)
母が天国へー6
母の「49日の法要」と「納骨」が終わり、一段落です。実家の菩提寺にも行きました。位牌堂でもお参りして帰ってきました。
仏教は本当に丁寧ですが、クリスチャンの私には、お経などの意味はほとんど解りません。しかし、集まった親戚の方々は、「般若心経」
など、空で覚えていてお坊さんが「いつもなら、皆さんと一緒にお経を読むのですが、コロナの時期ですから、私のみでお経を唱えます。」
と言っておられたにもかかわらず、多くの人が一緒にお経を唱えて法要をしていました。
お年寄りの日本人って、信心深かったのですね。信心深かったおばあちゃんを思い出しましたが「おばあちゃんだけではなかったのだ・・。」
と親戚一同の信仰深さに改めて感心しました。自分の信仰とは違いますが、この信仰心も崇高な思いがします。
キリスト教のお説教は解りやすい日本語でお話しされますが、仏教のお経は漢文で理解しがたく難しいです。
信仰とは「習慣のようなものかもしれない」と感じたものです。「自分の信仰を蔑まれ、反発されないためにも、他人の信仰を批判することは
辞めよう」という感情が生まれてくるのは確かです。
そして、信仰は無理強いして判らせるものでも・・・強制するものでもないことが理解できます。
大抵、仏教で信仰深いのは、家長と言われている、家を継いでいる人々で、次男三男はそれほどでもありません。仏教の信仰心は、きちんと
お墓を守っていて、位牌を守っていて、家の継続を守るという自覚にあふれています。
そして、お坊さんの講話では、菩提寺の歴史が話されて、どんな経緯でお寺が作られ、どのくらいの歴史があり、少ないながらも檀家があって
存続している・・・と話されていました。
私たちクリスチャンも、属している教会の成り立ちや歴史は知っていますので、「そうなのか・・・」と納得いくものでした。
まあ、母もこれでみんなに一応、応援されて極楽を目指していけるのだろうと安堵しました。
何時だったか、クリスチャンの友人と奈良のお寺巡りをしたとき、お坊さんが「地獄絵図」という掛け軸の解説をしていました。
とても怖い話で、「一週間の間、この世で生きてきたすべての行いが裁判にかけられ判決を受ける。」と怖がらせていましたが、キリスト教でも
「ヨハネの黙示録」という聖書の箇所は、かなり怖いものですから、結局、宗教ってよく似た教理です。
信仰は、誠実に生きて、平安に死んでゆくための「生きる道しるべ」なのかもしれません。 (2021年9月15日)
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