「光る君へ」ー1
NHK大河ドラマ「光る君へ」を第5回まで見てきました。私達団塊の世代は、平安時代の歴史はほとんど素通りだった気がしていて、なかなか
内容の理解が難しいのですが、You Tubeで階級や藤原氏一族の解説、平安時代当時の社会状況について、詳しく解説して掲載している
Youtuberがいて、聞いてみるととても勉強になります。
階級社会であり、女性優位なようで・・・利用価値として存在しているようでもあり、現代の女性像とは大きく違っていて複雑です。
また、当時の男子は妻側の婿養子に入る形で結婚し、その家柄を後ろ盾に出世したり・・・、自分の娘を皇后として結婚させ天皇との間に
生まれた男子である孫を天皇にさせてその後見人になり地位を得るという時代だったようで、今の時代とは大きく違っています。
藤原道長は二人の正妻と4人の愛人がおり、それに紫式部が加わって良い女性に恵まれて出世した人物と言われているような人です。
もう一人、一条天皇を産んだ姉・栓子もいました。8人の力ある女性の後ろ盾を得ていたと言われています。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることの 無きと思えば」と詠んだほどに権力を持った人物と記憶していますが・・・。
女性運の強い男性だったようです。「あげまん」を沢山持っていた。ハンサムな、女性に憧れられる男だったと言われています。
そして、生まれた環境で、生き方も経済環境も決まってしまう・・・不自由な世界のようです。血縁関係で地位を得ていたようです。
たいていは近親結婚で、今では考えられません。こういう時代を経て、現在の日本があったのですね。
ドラマの中で、紫式部と藤原道長は子供時代恋仲状態でしたが、道長の兄に母を殺されたことで、恋は成就しない状況になりました。
母の恨みがある人が兄という相手と結婚は出来ませんね。うまく作りました。どうも、半分歴史的事実に基づき、半分創作と受け取れる
面白い大河ドラマになりそうです。 (2024年2月5日)
追記1=Youtuberの記事によると、歴史的資料によれば、道長と紫式部との間には男女の関係はなく、和歌によるやり取りのみで、道長の
片思いで終わっているようです。紫式部の日記には、道長が夜忍んできた・・・と書き記しているようですが、夜通し戸をたたいたのに
戸を開けなかったようで、和歌にどうして開けてくれなかったのか…と詠んで渡したところ、開けたら後悔したでしょう・・・という
和歌を返しているという記録が残っているようです。歴史的には男女の関係にはなっていないのではないかと語られています。
しかし一方では、紫式部が産んだ子供・賢子は、下級貴族である宣考と下級貴族の紫式部が結婚していた時期に生まれていて
下級貴族の子供ではありえないくらいの異例の出世をしていることから、史実上も道長との間の子供で、道長の力で出世させたと
予測する研究者もいると言います。その事実から、どうもこのドラマでは、道長と紫式部の密通から生まれた子供として書かれていると
言われています。
追記2=紫式部の母は道長の兄道兼に殺されたことになりましたが、歴史的にはそういう事実はないとのことですが、この道兼は評判が
悪かったようで(乱暴者・詐欺行為ほか)・・こういう物語にされてしまったようです。
追記=このドラマのバックに流れるピアノは、反田恭平さんのピアノ演奏のようです。素敵です。いつか生ピアノを聞きたい・・・。
「光る君へ」ー2
7話で撮られた「打きゅう」のシーン。ドローン撮影などを含め優雅で素晴らしく、平安時代を素敵な時代に描いていますが、歴史的解説を
聞くと優雅ばかりとは行かなかったようです。十二単は重くトイレもままならず、お風呂やシャンプーは一ケ月に一度くらいなので、匂い袋や
鬢付けのような香の強い椿油などを着けて身だしなみとしていたようです。
匂いがすごかったとも言われていますが、建物や衣装と合いまった人物の撮影画像の構図が素晴らしく、見ていて飽きません。
ただ住まいの建て方・・・風通しのよい壁や仕切りが無い家屋は匂いを和らげる効果があり、冬は寒いでしょうがこの方式が正解だとも
言えそう。御簾で仕切っただけの部屋はかなり風とおしが良さそうです。
追記Ⅰ=ただこの寝殿造りの家屋、雨戸のような戸が作られており、普段は片付けられているが、雨・風が強い時など閉めることが出来たと
解説者は語っています。
追記Ⅱ=死体は通常雨ざらしか、死体を捨てる地域で雨ざらしだったと言います。地位が高くお金がある高級貴族のみ、火葬にし、貴族でも
土葬で済ませる場合が多く、風向きでは死体の匂いがすごかったと、平安時代研究者は語っています。
現代は、仕切りはしっかりしていて冷暖房も完備していますが、毎日お風呂に入る習慣と共にあるようにも思えます。
遠い昔の物語としては、「素敵な時代だなー」って感心しますが、ほんの一部の貴族の話ではあります。
牛車でのお出かけなども、とても2千年近く前の様子とは思えず、かなり進んだ時代だったと思われます。絵巻などに当時の様子が書き残されて
いるのも、日本という国が記録を大切にしたことが伺えます。 (2024年2月20日)
追記Ⅰ=「かしまし歴史チャンネル」というYou Yubeチャンネルがあります。これが面白く楽しく平安時代の歴史を説明しながら「光る君へ」を
解説していて楽しく知識も得ています。なかなか良いです。
追記Ⅱ=12話・13話で道長とまひろの恋の行方が切ないものとなってきました。ドラマですからこうでなくては面白くありませんが
切ないです。
若かりし頃の自分の別れを思い出しました。私も一度だけ好きな人との別れがありましたが、この「まひろ」の立場とよく似て
います。
好きな相手だし相手も結婚を望んでくれていましたけれど、一つだけ受け入れられない問題がありました。彼は無類のお酒好きで、
正体を無くすほど飲んでしまうことが時々ある様でした。私はそれが嫌でした。いつかお酒で問題を起こしてしまうかも・・・?
飲み始めると止まらなくなるほど飲んでしまう性格が許せなくて、自分から辛い別れをしてしまいましたが、正解だったと
思います。ただ彼は、公務員となり結婚もして定年まで無事勤めた普通の男性ではあり、人生間違ってはおられない、
良い人生ではあったようで安心しています。私自身も好い人生でしたので、お互い結果はオーライです。
追記Ⅲ=15話で「間違いの夜這い」が話の中にあります。道綱が「まひろ」の寝床と思って忍び込んだところには、「まひろ」の親しき友人
「さわ」がいた。月の明かりで顔が解ったところで道綱は、言い訳をしてそこを立ち去ってしまいます。「さわ」は傷ついてしまい
ますが、この話平安時代の読み物の講義を聞きに行くと時々話されるユーモア話です。
平安時代の夜は暗く、昼間垣根越しに見た美しい女性を見て夜忍んでいった。見た女性は当日の訪問者だったり、そこに居住
している女性だが光の具合で美しく見えていたりで、夜忍んで行って、床上手の男女の関係を結び、ゆっくり朝まで眠った後、
帰りがけに朝日に照らされた女性の顔を見て、驚いてしまう。思った女性ではなく違った不細工な(女性としては
言いにくいですが・・・)女性だったので、がっかりして急ぎ帰ることが時々あったとの話が、講義の中で話され息抜きの時間と
なっていました。
現代のような明るい時代では、考えにくいが良い時代だったとも言える・・・と終結していましたが、ドラマの中でもこの話出て
きましたね。笑ってよいのか疑問です。女性蔑視にはならないでしょうか?女性側にも好き好きはありますよ。
(2024年4月15日)
「光る君へ」ー3
第19話まで進みました。
You Yubeチャンネルには、「光る君へ」の関連サイトが多くあり、最初の段階でちんぷんかんぷんであった事情が徐々に理解の範囲内に導かれて
来ました。摂政と関白の違い位しか…歴史で勉強したことで記憶していることはありませんでした。
この時期You Yubeチャンネルが、疑問の解決に大いに関与してくれていて良い時代ではあります。
道長が自分の野望からではなく最高位の右大臣へと出世しました。関白や左大臣の地位が空きのまま右大臣となり、最高位の地位と
なったのでした。
事実道長が、このドラマに描かれているような政治手腕であったのかは、私の知るところではありませんが、なかなかの知恵ものとして…
良き民衆の見方の政治家として、今のところ描かれています。(もっと策略家で、策略で出世した人物のイメージがありましたが・・・。)
主人公の一人としてふさわしく描かれてゆくのでしょうか・・・?楽しみでもあり、私にとって、自分の国の歴史にも精通できる機会として
貴重なドラマでもありそうです。 (2024年5月11日)
第21話に進みましたが、大石静脚本だけあって恋愛ものそのものに歴史が塗り替えられていきます。藤原道長と紫式部は歴史的には
恋愛関係には無かったと思われるのに、父の越前守赴任に伴うため、ここで最後の別れに際してどうも…再び結ばれてしまうようです。
想像豊かな解説者は、大分前から「まひろ」は道長の子を産む・・・と予想している人もいます。
恋愛ドラマとしては「胸ドキドキ」「胸キュン」シーンですが、史実をまげて視聴者を引き付けました。どうなることでしょう。期待が
高まります。NHKにしては「昼メロ」の様相になってきましたが、面白くはあります。
ただここで少し考えてしまうのは、純粋に男と女の愛って一筋縄では語れない一面がある…と言う事です。
道長の妻・倫子は、このドラマで倫子から道長を見染めて夜訪ねてきた道長に、倫子から行為を求めていった女性だからでしょうか…
多くの愛人を愛してしまう道長に嫉妬しない・・・むしろ支援する内助の功を貫く女性として描かれてゆくように見えます。
まひろは、道長以外の男性に引かれたり結婚したりしながら、初恋の道長への愛を貫いて生きてゆく女性に描かれてゆくようでもあります。
むしろ道長の政治手腕やこの世を変えてくれる存在として尊敬期待する男性に心を奪われている女性としての愛・・・のようにも思えます。
越前では宋国の医師と出会い微妙な関係になるようで・・・また浮気しまくる叔父さんの宣考とは理由はまだ未定ですが、結婚するようだし…
愛や結婚に自由な女性が描かれるように見えます。宋国の医師役は松下洸平さん。この俳優・歌手…私の大好きな役者さんでこれから
しばらくは楽しみではあります。 (2024年5月28日)
追記=女性の心って複雑ですね。女優・小池栄子さんは「自分で惚れた相手なので、自分の男の借金など私が稼いで返してやる!!」と
3億とやら5億とやらの夫の借金を女優で稼いで返したと、もれ聞いていますし、大学生の時、教授が好きになって、教授は
結婚していたため、ずっと未婚で仕事していたところ、教授夫人が病気で亡くなったため、50歳近くで20歳も年上の初恋の教授と
結婚してとてもうれしそうにしておられた女性も知っています。女性の生き方も複雑で、平安時代の男女の性的行為は今よりずっと
自由であっけらかんと不倫や愛人として行われていた様子が描かれて行くようです。
今では、忌み嫌われ夫婦間のルール違反的行為です。ポリティカルコレクトネス的に地位ある人や女優・男優・有名人は、不倫は
バッシングの第一話題です
「光る君へ」ー4
第27話が放映されました。
とうとう石山寺で再会した「まひろ」と道長は、双方の思いによって結ばれてしまいました。そして懐妊・・・。
夫宣孝は、道長の子を宿したと知っても喜んでいて、「これでもっと自分を引き上げてくれるやもしれん・・・。」と語るくらい強かです。
これ史実では、この「まひろ」が産んだ子「賢子」・・・下級貴族の宣孝と下級貴族「まひろ」の間の子としては異例の出世をしていることから
史実上でも、「式部と道長は、愛人関係であったのではないか・・・。」と言われる根拠となっているようで、道長の力で賢子を引き上げた・・
と推察されているようです。
作者は史実と創作をうまく操って、ドラマが進行していてとても面白いです。このドラマを推察・解説する、平安時代の研究者の人々の
You Tubeも非常に面白く、チャンネルにアクセスするのが楽しみなものも多いです。今後が楽しみ・・・・。 (2024年7月15日)
31話に至りました。
とうとう「まひろ・紫式部」は、道長に懇願されて「ものがたり」を書き始めました。You Tubeチャンネルの解説によると、清少納言の
「枕草子」や和泉式部の和歌の艶めかしさに触発されて、自分流を見つけ出したようで、「源氏物語」のコンセプトを見いだしたようです。
注記=史実では、道長に懇願される前から書いていて、評判を聞きつけての懇願だったと言われていますが・・・。そして、当時
高価だった和紙を大量に援助したのも史実です。藤式部のパトロンでした。しかし、愛人関係ではなかったと言われていますが。
大河ドラマの影響ではありますが、完ぺきではない「人」に焦点を当て・・・表の顔と裏の顔を書くことに目標を定め、書き下ろしたと
思われます。遠い昔の事ですから・・・想像でしか結論付けられませんが・・・。
私が今後「源氏物語」を読むに際して、かなり印象が違ってくると思います。
何か平安時代から男同士の恋愛も存在して、源氏物語にもそれを思わせる場面もあると言われていまして、よく理解できない多少
エロ本的な印象も無きにしも非ずだった勝手な私の印象も、文学作品としての世界の評価を受け入れる機会を与えられたのかも
しれません。
映像の美しさもこのドラマ、私にとってとても見ごたえがあり、いまだ一度も見落とし回はありません。NHKプラスで見ています。
楽しみになってきました・・・。大河ドラマ歴代、不人気第2位と聞いていますが、私には興味深い面白い大河ドラマです。
(2024年8月20日)
私感=日本でも男女の肉体的関係はかなりルーズで、平安時代誰とでも容易く関係を持っていた感じですが、レイプ的関係は
少なかったように感じます(例外は除く)。しかし外国では、古くはレイプが多く・・キリスト教の発祥から神の教えで、
かなりレイプは減った・・・と語る外国人もいます。現在でも海外ではレイプは多いので、若い方は気を付けてください。
日本では神が「姦淫」を禁じてはいないですが、近年自然発生的に姦淫が嫌われてきて、不倫などが問題視されることが
多くなりました。平安時代はどうも、あまり問題でなかったように見えます。良いのか悪いのか・・・・?
啐啄の機
「啐啄の機」という言葉をご存じでしょうか・・・?私は知りませんでしたが、夫は知っていました。やれやれ・・・・。
これYou Tubeチャンネルで「光る君へ」の解説を聞いていて知った言葉です。
検索すると「禅で、弟子が悟りを開くことが出来る段階に達したその瞬間に、師匠が悟りのきっかけを与えることのたとえ」だと
いいます。
道長が、まひろに「ものがたり」を書いて欲しいと懇願した時期が「啐啄の機」だったと、この言葉を使った解説者がいました。
紫式部が「源氏物語」を書くための得難いチャンスだったというのです。
高齢になって学びました。良い言葉ですね。今までの人生には私にも、「啐啄の機」は何回かありました。(2024年8月23日)
追記=旧約聖書には、コヘレトの言葉と言う個所に「全ての事には時がある・・・。」と言う箇所があり、このこととよく似ています。
歴史書共通
NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ながら、興味深い共通点を、旧約聖書と平安時代の書物「大鏡、小右記、御堂関白機、
紫式部日記、更級日記、和泉式部日記、土佐日記、讃岐典侍日記ほか」で感じます。
クリスチャンである私は、教会の礼拝で度々、旧約聖書を使った説教を聞いて帰るのですが、この旧約聖書はユダヤ人の歴史と
神様との関りが、多くの違った書物からまとめられた歴史書でもあります。
キリスト教にはこれが信仰を理解するのに必要な書物です。今回大河ドラマを見るにあたって、You Tubeチャンネルで、多くの
平安時代研究者の方々が発信する解説を聞いていると、これら古い書物を証拠としながら、平安時代をひも解いて
「光る君へ」を考察するわけです。
旧約聖書を証拠としている教会の説教と、古い書物を証拠として平安時代を語っているのとには、歴史的解釈の共通点を感じます。
信仰とは別にして、「日本人としてこうした歴史を知ることは大事だなー。」と感じながら、You Tubeチャンネルを視聴しています。
結構面白く、日本は古い時代から、記録を残す習慣があり、歴史の事実を確認できる国だと嬉しく思います。
中国や韓国は、こうした歴史書が無かったり、あっても無視して国の歴史を都合の良いように変えて主張する傾向が強い国でもあります。
事実を少しでも垣間見て、それに基づく国の歴史を考える国民として一部安心があります。無理な嘘は言わない日本になれる
書物は大事です。良い国だと・・・安心できる一面であります。 (2024年9月9日)
追記=神話的ではありますが、「古事記」や「日本書紀」なども一応歴史の事実として、受け入れらている部分もあります。
「光る君へ」ー5
第37話に達しました。今後どうなるのか楽しみではあります。源氏物語はどこまで表現されるのかも興味深いです。
今回、中宮・彰子の希望で、帝・一条天皇へのおみやげとして豪華な紙で装丁した「源氏物語33巻」を制作することになり、現本の写し本を
作成しました。それはそれは美しいもので、西暦1000年前後の本とは思えないほどの美しさです。
三十六歌仙和歌集、「西本願寺本三十六人家集」もこうした美しい装丁で作られていたと言います。
日本の歴史がこんなに素晴らしいものであったかを知るにつけ、日本はこの文化を残しつつ新しい文化を作り続けなければ・・・という
気持ちが湧いてくる第37話でした。
この大河ドラマ「光る君へ」は、私たちの祖先がどんなにか美しい文化を持っていたかを思い起こすものとなっています。
(2024年9月30日)
「光る君へ」ー6
第44話に達した大河ドラマ「光る君へ」。とうとうあの有名な和歌「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも
なしと思えば」が、登場しました。
この和歌、最近では、解釈が違ってきています。 私達が日本史の時間に習った頃には、道長の傲慢な歌で「この世が自分の
思うままであり、月が欠けることが無いように、全てがまん丸にも似て思うがままである。」かのように解釈され、教えられました。
しかし、最近違った解釈がなされるようで、「この世」とは、「今夜」であり、3人の皇后が出た我が家の姫は満月であり、入内を祝って
集まった上級貴族とかわす杯はまん丸で望月のごとく欠けていない、集まった貴族も仲良く和気藹藹で、なんと嬉しいことよ。
皆さんに感謝する・・・。という句であると解釈されているというのです。
ドラマの映像も、そういう意図が理解できるような雰囲気で作られていました。
長い間、心の中の愛人だったまひろと道長も、年老いてその歴史が作った関係に流されて行きます。
43話での会話には、涙してしまいました。道長が病に侵され心が弱った時、まひろが見舞いに訪れ、二人で川辺で語り合う会話で、
道長は生きる気力を無くしていました。まひろ「一緒に川に入り流されましょう。」 道長「お前は私より先に死んではならない。」
まひろ「それでは生きてください。そうすれば、私も生きられます。」
こういう男女になりたいですが、恥ずかしくて言葉には出せないかも・・・。思いの深さにただただ、感動しました。
ただ、こういう会話をしたにもかかわらず、まひろは、娘の賢子が宮仕えしたいとの申し出を承諾し、娘を女房として宮中に入れます。
そして、道長に「賢子はあなたの子です。よろしくお願いします。」と打ち明けて宮中を去り、旅に出ます。
道長は、自分のもとを去った「まひろ」と会えない世界に落胆して出家してしまうのです。男と女ってこういう別れもあり、女性の方が
思い切りが良い。なるほどな・・・私も一度経験がある。女はわりと割り切っているが、どうも男性は気持ちの整理が長引くようだ。
(2024年11月22日)
「光る君へ」ー7
最終回を迎え、道長は美しく優しい二人の女性(正妻倫子・藤式部)に見守られて天に旅立ちましたが、史実を説明しているYou Tubeを
見ていると少し違った最後を送ったようです。
晩年、苦しい痛みを伴った病に侵されたことで仏教に信心深くなり、大きなお寺(法成寺=摂関政治期最大の寺院)を建立し、増設により
どんどん大きな寺院へとなったそうです。目が見えなくなったようで、死を悟った所で、阿弥陀堂に入り、九体の阿弥陀如来の指と自分の
指を糸でつなぎ、お経を唱えて最後を送ったと実資の「小右記」には記されていると言います。優しい女性が側にいてくれた訳では
なかったようです。
注=土御門殿の東にあたる場所に存在したという法成寺は、現存していません。
ドラマとしては、そうした壮絶なものではなく、美しく静かな最後でした。主人公の一人として美しく終わらせていました。
残された藤式部も新たな時代を生きて行く予感を持たせていました。大石静女史のドラマらしい終息でした。久しぶりの大河ドラマ観賞。
一度も見逃すことがありませんでしたが、高校生の時初めて見たNHK大河ドラマ「花の生涯」。井伊直弼が主役のドラマで、「一期一会」
の意味を知ったドラマでした。 (2024年12月15日)
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