簡単に広島を案内してくれ、安芸の宮島に連れて行ってくれました。
私たちは、松山を出発した日、呉に立ち寄って「大和ミュージアム」を
見学し、海軍兵学校があった江田島にも行ってみましたが、旧海軍兵学校、
現在の技術学校の見学は出来ませんでした。
夫が第二次世界大戦に関する本を数多く読んでいて、興味があったようです。
大和ミュージアムは多くの子供たちや観光客で賑わっていました。私は
どうしても、戦争で被災したり、子供を兵士として送り出し戦死した人々の
体験記録や録画に興味が行ってしまいました。
遠い昔ですが、九州にある特攻隊の基地・知覧に行って、その遺物や手紙を
見て涙し、説明する男性の話を聞いて泣いたものです。
戦争は、どんな場合でもやってはいけないこと・・・戦って国を豊かにする
時代だったとはいえ、間違ったことでした。
でも、こうした時代の流れの中で翻弄され、導かれた人生は、悲しいもの
でしたが、現在の私たちは、その犠牲の上に成り立っており、批判する
気持ちにはなれませんでした。 |

戦艦「大和」の模型
この時代世界一の大きさと技術を誇ったといいますが 活躍することなく沖縄の海に沈んだようです。 |