イスラエル・聖地旅行〔ハーベスト・タイム主催〕
2007年のお正月は遠くイスラエルの地で迎えることになりました。12月27日に関西空港を出発し
タシケント経由エルサレム行きです。ウズベキスタン航空。ちょっと不安。全てを神様にゆだねて
クリスチャン子羊の群れ(総勢48名+牧師)の旅。勉強不足の私は何一つ知識を持たず参加する。
しかし行く先々で感動の連続。小さい信徒の私は圧倒されるばかりでした。最も感動的だったのは
ガリラヤ湖畔で早朝に行なった聖餐式。そしてヨルダン川でのバプテスマ
(浸礼)ベドウィンのテント
(幕屋)にも訪れロバと駱駝に乗る。延々と続く荒野の風景を見ながら死海へ。海抜−400メートル
体験。いつも通り少し知識を得ておくべきだったと少し後悔。ガリラヤ湖では木造の船での湖上遊覧。
聖書にある「山上の垂訓」を記念した教会にも訪れる
8日間はあっと言う間に過ぎてゆきました。
関西空港⇒タシケント⇒エルサレム⇒ヤッフォ_ベエル・シェバ⇒ベドウィンテント訪問⇒
死海のほとり⇒マサダ⇒エン・ゲディ_クムラン⇒テベリア⇒ガリラヤ湖畔⇒カペナウム
山上の垂訓教会⇒エン・ゲブ⇒ナザレ_カルメル山_メギド_カイザリヤ⇒エルサレム⇒
オリーブ山_ゲッセマネの薗_鶏鳴教会_ヤッド・バシェム_神殿の丘_ヴィアドロロサ_薗の墓・他⇒
エルサレム⇒⇒タシケント⇒関西空港
エルサレム
エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の
聖地であり巡礼者と観光客を魅了する街でもある。
一キロメートル四方の城壁にかこまれた旧市街には
約220もの歴史的建造物があり、世界遺産に登録
されているという。旧市街はユダヤ人地区、
イスラム地区、アルメニア地区から構成されている。

イエスが裁判にかけられ十字架を背負って
ゴルゴタの丘まで歩いたとされるビア・ドロローサも
一部歩いてみる。
そしてイエス・キリストが十字架につけられた
場所ゴルゴタの丘の上に建てられている
聖墳墓教会にも立ち寄ったが、あまりの巡礼者の
多さに感激薄くなるようでもあった。

旧市街の街の様子は細い路地に商店がひしめいて
いて雑踏そのもので、イスラム圏の銀座とも言える
様相が感じられました。
エジプト・カイロで体験した商店街と同じ雰囲気です。

夜の風景もまた素敵。以前スペイン・グラナダの
アルハンブラ宮殿で建物内部のアラビアンナイト
に接して感動でしたがここでは街の風景の
アラビアンナイトに新鮮気分。

なげきの壁
有名所ですが、祈りの壁が男性用と女性用に
分けてあるのが、少々気がかりでした。
イスラム教もモスクでの祈りの場所すらも
男女別々と聞きました。
私としては何故ここでこんなに真剣に祈るのか
共感できなかったけれど、ユダヤ人にとって心の
よりどころとなっている場所なのでしょう。
体をリズムを取って前後に動かして祈って
いる姿は、仏教の木魚をたたくリズムに似ている。
宗教ってなんだか全てどこかに共通点があるようで
不思議。
ベドウィンのテント訪問
荒れ野の中をバスで延々と走ってキャンプへと
到着しました。旧約聖書では幕屋という表現で
訳されていますが、NHKの番組を見ていると
《幕屋に訪問したとき、お茶でもてなされるそうです。
湯飲みに少しずつ何杯も御代わりを継ぎ足されると
歓迎されていて、長く留まって話をして行って
くださいと言う意思表示であるとか?
もし湯飲みになみなみといっぱいに注がれた場合
「これを飲んだら早く帰ってくれ」という意思表示だと
放映していました。》

ここでは、駱駝とロバに乗る体験をしましたが
旧約聖書の時代はロバに乗っている人が高貴な方
だったのだとか? イメージとは違いますね。
近代文明に慣れた私はロバの背骨がゴツゴツと
していて、とても長時間乗っていられそうに
ありませんでした。
でも、見た感じ可愛い。しかし聞く所によると
ロバの後ろには要注意とか。蹴飛ばされて怪我の
恐れあり。という。
マサダの砦
マサダとは砦と言う意味があるそうです。
この砦に熱心党のユダヤ人967人がローマ軍に
抵抗して立て籠もり自決の道を選択した所と
言われています。この自決は心の自由を選ぶという
意思表示として死を選んだと解説されていました。
下の模型のような形状の山の上が砦となっていて
数々の遺跡が残っており、お風呂の跡なども
近代的な形で使われていたと思われます。
人間はもしかしてずっと以前からかなり進んだ
生活を知っていて、造っては壊し、作っては壊す
ことを繰り返しているのかもしれないと想像を
めぐらしたものです。歴史的に解明されていない
頃の人間もまた何度か現在に匹敵する文明の
只中にいて、何らかの理由で失滅し、また始まる
という事を繰り返しているいるのかもしれないという
気分になったものでした。
この砦に登るのには二つの方法があります。
(1)歩いて登る・(2)ロープーウェイに乗る。
歩くのにはかなりの時間が必要ですが、私は
歩いてみたかった。でも今回は時間がなく(2)で。
荒野の中の壮大な砦は、今までに経験の無い
体験で、ちょっとした感動でもありました。

カイザリア
カイザリアは地中海に面したこの地方最大級の
港町都市遺跡です。ヘロデ王時代に築かれました。
ローマ皇帝カエサル・アウグストスの名にちなんで
命名されました。この遺跡にはローマ劇場・神殿
宮殿・戦車競技場・港・導水橋・他があります。
夕暮れの導水橋は地中海に沈む夕陽に輝いて
とてもロマンティックです。(写真上)
若き頃の恋人同士で訪れるのも、老夫婦で昔を
偲ぶのも、友人知人と哲学的感傷に浸るのも
最適な素敵な場所という感じです。

使徒パウロはここカイザリアに約2年間監禁されて
いましたが、法廷でカエサルに無罪を上訴しました。
パウロは自由を得てローマで福音をのべ伝える
目的があったからでした。

カイザリア遺跡の内部に写真(中)のよな劇場跡が
ありました。観客席が海に向かっているので海風で
音響効果が高まるのだといいます。現在でも数々の
催し物がここで開催されているそうです。ここで
グループ有志聖歌隊とダンス・チームそして笛の
研究者夫妻とオカリナ演奏を牧師が演じられ
ました。途中から外国人の旅行グループが参加して
鑑賞しましたが「アンコール」「アンコール」の
手拍子と掛け声で歓喜しました。楽しい思い出と
なりました。(写真下)
山上の垂訓教会
山上の垂訓教会はカペナウムの上部・小高い丘の
上に建てられていて、マタイの福音書5章3節から
10節の有名な教えが説かれた場所を記念して
建てられた教会です。ガリラヤ湖を眺めながら
ここで多くの人々の心の内側を説かれたのでしょう。
この場所は音響効果が高く大勢の人々に
イエス様の語り声が聞こえたといわてれます。
ガリラヤ湖
〈上〉ガリラヤ湖畔で早朝、聖餐式[キリスト教徒が
   イエス・キリストとの最後の晩餐を記念して
   行なう儀式。この時・飲食するパンはキリストの
   体を、ぶどう酒はキリストの血を象徴しています。
   儀式には、救いの契約そしてイエス・キリストと
   一体となるというような意味がこめられています]

   を行なった頃の早朝風景。

   太陽が昇ると共に水辺の鳥が集団で飛ぶ
   様子は自然美の極みと思われました。
   イエスが最も福音を語っておられたという
   ガリラヤ湖周辺の自然との一体感があります。
   自然は神からの贈り物。大切に感謝して
   使用し、美しさと厳しさをを味わいたいと
   思いながらその中に立っていました。

〈下〉ガリラヤ湖上での遊覧船。
   趣のある木船です。頬に来る風もさわやか。
クムラン
エルサレムから20km足らずの位置にある遺跡で
1947年に多数のこの様な洞窟から
大量の写本(死海写本)が発見されました。


バプテスマ〈浸礼〉
ヨルダン川でのバブテスマが団長の牧師先生に
より行なわれました。(写真下)
二人のバプテスマと10人程の再決心者でした。
寒い日でしたが、皆さん自ら申し出て浸礼を
授かられました。見ていた私も37年前の自分の
バブテスマが鮮明に蘇ってきて感動でした。
(写真上)世界中の人々がこうしてここでバプテスマを
受けるのでしょう。ここに入場した記念として
この絵葉書を頂きました。
日本人にはクリスチャンでないと理解し難い
光景かもしれません。
印象に残ったイスラエル料理
〈上〉シャマイム
袋状になったパンの内側にゴマや色々の
ペーストを塗ってその中に色々な野菜などを
詰めて食します。前菜と聞きましたが、
美味しくてこれで殆ど満腹でした。
〈下〉マクルパ
大きなお鍋でお米を鶏肉や野菜と共に蒸し焼き
にしたような、炊きゴミご飯かパエリヤの
様な物でしたがとても美味しかった。
クムランでの昼食で食しました。
この地方のベドウィン人がお客をもてなす時の
料理だそうです。