クロアチアへの旅
  2008年6月旅行社グローバルによるツアー「自然美と歴史を体験する旅 クロアチア満喫 紺碧の
  アドリア海とモンテネグロへの旅」に参加。旅行者9名と添乗員、総勢10名。
  天候にも恵まれ思い出の10日間となる。

           
    トルコ・イスタンブール経由ザグレブ行。 イスタンブールで約7時間のトランスファー待ちとなり
    旅行社の好意でイスタンブールの朝を観光する事となる。観光客のいないイスタンブールは
    以前訪れた喧騒の街とは違って静かだ。 ガラタ橋では住民が釣りを楽しんでいて生活感が味わえる。
    ブルーモスクやアヤソフィア教会なども見学する。グローバルさんありがとう。
ガラタ橋の釣り風景 エジプシャンバザール付近の朝 チューリップを形取った碑
  ザグレブ   1992年にスロヴェニアに次、旧ユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの首都。
           人口120万人の活気溢れる落ち着いた美しい古都。
           旅人の心を引き付ける魅力的な街。私は一度で好きになった。
           もっとゆっくり滞在してみたい。先進国と言うより素朴な感じのする街でありながら
           市場などは品物が満ち溢れていて活気があり豊かな様相。懐かしい香りのする古都だった。
丘の上から見たザグレブ 国立劇場 マルコ広場
美術工芸博物館 トラム ザグレブ植物園

 旧ユーゴスラヴィアは1918年建国から1991年に社会主義連邦共和国が解体するまで73年の
 歴史を刻んだ国。面積は日本の3分の2程。6つの主要民族、3つの宗教、3つの言語、6つの共和国で
 形成されていた。この国もまた数々の侵略や統治・民族間の対立などを繰り返し、ウスタシャという
 ユダヤ人・セルビア人・ロマ【独自の文化を持つ少数民族で一般的にジプシーと呼ばれ差別的蔑称と
 言われている】などを劣等民族と決め付けて迫害した人物も存在したという。
 そうした血みどろの抗争を統一したのがチトーであった。チトーの時代には民族間の壁が低く、
 一国の意識も強い国民であったという。他民族との結婚も多く、どの民族にも属さない人々
 【ユーゴスラヴィア人】も生じたという。チトーが1980年にこの世を去った後は民族問題、経済危機・
 そして東欧の激変で大きく揺らぎ数々の内戦を経て現在6の国が成立している。
 が、まだコソボ独立問題などの再燃も心配されているという。
 水車村ラストケ プリトヴィツェ湖群国立公園に行く途中に水車村を見学。水量の多さとのどかさに
              感動。水のある風景は心落ち着きます。
 プリトヴィツェ湖群国立公園92の滝と16の湖から成る公園。多くの魚が泳ぎターコイズブルーや
                     エメラルドグリーンで美しい湖が連なる。格好のハイキングコース。
                     徒歩とボートで約3時間があっという間に過ぎていきました。
                     この日私たちはホテルにチェックインする前にこの公園を歩く予定でした。
                     雨が降っていたので現地ガイドさんの機転によりチェックインと国立公園の
                     DVD鑑賞後に観光することとなりましたが、歩き始めは小雨ながらも
                     30分後には雨も上がり観光客も減っていて格好のウォーキング日和と
                     なりました。今回のメンバーとガイドさんの日頃の行いの善さの賜物と
                     感謝!?感謝!!
  トロギール  クロアチアのベネチィアと言われる世界遺産の町。大聖堂の上からの眺めが美しいが、
            上り下りの階段が狭く、太目の御婦人達が後ろ向きに下りてくる列の長さに途中で
            登るのを諦めました。小さな要塞町です。
  スプリット
         ここではどうした訳か嘔吐、下痢、胃痛に苦しみ。一人喫茶店で待つ事になりました。
         よく考えてみると、昼食を少し食べ過ぎていて、やや調子が悪かった所へ、トロギール観光後
         バスに戻ってからミネラルウォーターを飲みましたが、この水の飲み方に問題があったのでは?
         と思う様になりました。慣れない食事に、間違った水の飲み方。旅先では注意したいものだと
         反省し、その後の食事は少なめに控えました。と言うわけでこの場所は観光が出来ず残念!!
         今まで健康に自信を持っていた私の始めての自信喪失ですが、今までこれほどの不都合に
         出会わなかったのが、幸運だったのかも。これからも充分注意して、まだ見ぬ土地へと
         探検気分で飛んでゆきたい。
ネレトヴァ川の湿地帯 
ドブログニクへのバスの旅の途中に
デルタ地帯がありました。水路の様な
溝の多い農業地帯です。舟を使っての
作業になるようです。日本にも千葉県の
潮来などがありますが上から見ると
綺麗です。
  アドリア海バスからの風景  アドリア海を南下していると所々素敵な風景に出会います。
クロアチア版万里の長城 
  途中、塩田の見学をした場所に
  万里の長城に似た要塞が山を巡らして
  いるのに出会いました。時間があれば
  歩いてみたい気分でしたが、暑さも
  手伝って誰一人歩こうとしません。
  塩田は以前香川県で作られていた塩の
  製法で、4種類の田を使用していました。
  次々と濃くなった塩水を田を代えて行き
  精製します。日本では採算が合わず
  失われた技法ですが、観光材料として
  活躍していました。
ドブログニク 
      クロアチア最南端の小さな城塞都市。アドリア海の真珠とも言われクロアチアきっての観光地。
      随分前、ウィーンで「ドブログニク」というレストランに入り、その地名を知りました。興味を持って
      写真を見て驚きました。あまりにも美しい街。それからずっと一度訪れてみたいと願っていました。
      クロアチア独立戦争の際には旧ユーゴスラビア連邦軍に攻撃を受け「危機にさらされている
      世界遺産」の登録を受けたほどで、私自身も見ずして崩壊されるのかと心配でした。
      修復が進み昔の面影を取り戻しつつあると言います。素晴らしい街でした。何度でも行きたくなる街。
コトル  
     2006年に独立した小さな国モンテネグロにある。以前バレーボールでセルビア・モンテネグロとういう
     強い国を知っていたが、独立して2つの国になった。福島県ほどの国だそうですが、豊かな自然を誇り
     国内には4つの国立公園と長いアドリア海の海岸ビーチなど魅力的な観光資源を有するという。
     クロアチアからはバスで陸続きに国境を越える。パスポートに押された入国のスタンプには車の絵が
     描かれていた。コトルは17世紀にはロシアのピョートル大帝が留学生を派遣しているほど
     高度な航海術を古くから誇っていたと言う海洋都市であったという。
食した海の幸料理  
           今回お腹を壊した事もあって充分には食の楽しみは味わえませんでしたが、最近、年の
           せいもあり、油ものを控えている習慣から外国の料理に弱くなっている感じです。
           お肉類は硬く、料理の香草がきつく、オリーブオイルがたっぷり、料理が残ってしまいます。
            コックさんを喜ばせる食べ方は出来なくなりました。残念!!









ザグレブの朝市  沢山のお店が出ています。綺麗でいて品数も多い。活気溢れた市場です。