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ポ ル ト ガ ル

 
2012年3月終りから4月初めにかけて、ポルトガルへ旅行しました。旅行社グローバル・ユースビューローの 「どこか
懐かしい国ポルトガル10日間」
参加者19名とツアーコンダクター総勢20人の旅です。私達夫婦は四国からの参加と
なり前泊成田、後泊羽田での参加12日間です。ドイツ・フランクフルト経由リスボン行きですが、フランクフルト空港では
ストライキ中でパリ・ドゴール空港に変更になるかもしれなとのことでの出発となりました。成田・パリ間往復はビジネ
クラス。今回の旅は想定外のトラブル続きで、ツアーコンダクターさん大活躍。お疲れだったと思いますが、感性豊かな
コンダクターさんはお客と共に感動して楽しむ方で、とてもタフな方でした。楽しみながら仕事をするって、大事な事だと
感じたものです。_______________________________________________
 何度か思いがけない幸運な出会いがあり、記念写真を撮ったのでしたが、私の知らない所でも出会いがあった様で、
 炎の指揮者という愛称のある小林研一郎さんともフランクフルト空港でお会いしたようです。私達は残念ながらお会い
 できずでしたが、ポルトガルの
有名な映画監督 オリヴェイラ監督や博士号取得の試験官である大学教授にはエヴォラ大学でお会いし
 記念写真を撮ったりでした。思い出も楽しいものになりした。

 今回季節は春で、多くの花に心が和みました。素晴らしく伸び育った「藤」の花、大きな木となって咲く「ハナズオウ」、可憐に咲く「アマポーラ」
 こんもりと木に巻きついた「クレマチス」、オリーブの木の下で絨毯のように咲いた「ラベンダー」 林の木々の下で黄色く群れて咲く見知らぬ
 花ほか、菜の花、カラー、キク科の花々、名前を忘れたり、知らない花々のお出迎えが、毎日バスの車窓を楽しませてくれました。生き生き
 と これから活動を始める若者の様です。人生を大方終えた私にとって頼もしい人生を始めているかのようで、微笑ましく素敵でした。
 毎年がこんな地球でありますように・・・。

 バスの移動中、ビンゴゲームで時を過ごしたりしました。商品つきです。ワイン・ビネガーやオイルサーディン、陶器の小物やお菓子など
 最後の商品はちょっと大物。わたし1等賞でした。めずらしい!。大抵はくじ運悪い私ですが、大きなお洒落な買い物袋をゲットしました。
 「やったー」こんな時もあるんですね。3等までは少々いい商品です。当たらなかった人、ごめんなさい。次にはあなたの幸運を祈ります。
 ちなみに、一等賞の買い物バックには「シントラ」というアルファベットが数多く書かれています。観光した町の名前です。
ポサーダ
 お城や王宮、修道院、貴族の館他の 国の重要文化財を改築して造られた国営ホテル。
 この他 自然景勝地や、歴史的建造物に囲まれた場所に建ち、その地方特有の建築様式を生かして新築された
 「リージョナル・ポサーダ」があります。スペインではこの国営ホテルを「パラドール」といい、グラナダのパラドール
 「ホテル サンフランシスコ」に泊まった経験があります。雰囲気は中世気分ですが、部屋が狭かったり、不便
 だったりです。今回の旅では、「パラシオ・ド・フレイショ(ポルト)」 「ポサーダ・ドス・ロイオス(エヴィオラ)」
 の二つのポサーダに宿泊しました。 またギマランイスのポサーダでは、優雅な気分での昼食を頂きました。
  今回泊まったホテル・ポサーダ(パラシオ・ド・フレイショ)写真集  
            ポサーダ(ドス・ロイオス エヴィオラ))写真集

            ポサーダ(モステロ デ ギラマンイス)写真集
          
   ポサーダ(ドス ロイオス エヴォラ)写真集

リスボン写真集

べレンの塔、モニュメント
写真集


ジェロニモス修道院
写真集


アルカンタラ展望台
写真集
リスボンは海に面した、明るい清潔な感じの街でした。国家が破綻しかかっている国とは思えない程の、魅力的な街です。
古くには相当に繁栄していたであろう事が、残された建物や遺跡で想像されます。活気と言うより のんびりムードですが、
喧噪のないのどかな雰囲気を感じました。バスの車窓から見るリスボンの街は、過去の遺産に脱帽と言う感じでした。

観光した場所

    べレンの塔=16世紀、マヌエル一世によりバスコ・ダ・ガマ世界一周の偉業を記念して造られ、もとは船の航海を
             監視し河口を守る要塞としても機能しました。マヌエル様式の優雅な姿は、海に浮かぶ貴婦人と
             言われていると言います。(司馬遼太郎がドレスの裾を広げている姿を連想して、テージョ川の
             貴婦人と表現したという説もあります。)お天気の良い朝の観光で、サングラスが必要なほどの
             日差しでした。
    
    発見のモニュメント=べレンの塔から東約500メートルにエンリケ航海王子500回忌を記念して造られ、帆船が
                  モチーフとなっています。彫刻には、先頭にエンリケ航海王子、その後に
                  アルフォンソ5世、次にバスコ・ダ・ガマ、と続き、天文学者や宣教師、地理学者や
                  船乗りが続いています。
    
    パスティス・デ・ベレン=リスボンで有名なエッグタルトの食べられるレストラン。店先には多くの
                  エッグ・タルトを買い求めるお客で人だかりになっていました。
    
    ジェロニモス修道院=バスコ・ダ・ガマとエンリケ航海王子の偉業を称えマヌエル一世によって建築が開始され
                  約300年かけて完成されました。香辛料貿易による莫大な利益による資金を
                 つぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作として世界遺産に登録されています。
    
    国立古美術館=宮殿を改装して造られた古美術館で、日本の屏風などのコレクションも展示されています。
               ポルトガル芸術、北方絵画、ボッシュの聖アントニウスの誘惑など充実したコレクションを
               誇っています。イスラム芸術と思われる芸術品も数多くあります。
    
    サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台=ちょっとした高台になっている場所に、公園が作られ、リスボンの
             街並みが美しく広々と見渡せます。「七つの丘の街」と言われるリスボンの赤い屋根並みが
             美しい。
             目の前の向側の高台には、サン・ジョルジェ城やグラサ展望台、セニョーラ・ド・モンテ展望台
             が見えます。
             リスボンは東京の様な平地に広がった街ではない、坂の多い街である事に納得します。坂を登る
             電車をよくテレビで見ていたことを思い出します。遠くに海を、所々に丘を持ち、家並みが
             情緒を提供してくれナイス・ビューです。市民がベンチで本を読んだり、おしゃべりを楽しんで
             いました。
             ここで観光者向けの絵を売っていて、お仲間の一人が買い求め楽しんでいました。
             10−15ユーロ程度の小さいなものでした。店主は絵描きの卵がアルバイトをしている
             かのような女性でした。

ファド観賞ディナー リスボン市内にあるレストラン「クルベ・デ・ファド」で夕食を楽しみながらのファド観賞。女性3人の歌声を聞きました。
一人位男性の声も聞きたかったけれど、もしやファドとは女性専用のものなのかもしれない?等と勘違いしましたが、女性に
限らない、ポルトガルの民俗歌謡のようです。ファドとは「運命」または「宿命」を意味しているそうです。イタリアの
カンツオーネ、フランスのシャンソン、ブラジルのサンバ、アルゼンチンのタンゴなどと並び称されるポルトガルを世界に
知らしめる民俗歌謡です。

ファドは暗く悲しいものと言う先入観がありましたが、明るくリズミカルな物もあります。日本の演歌的歌詞が歌われて
いるだろう事が想像できます。首都リスボンとコインブラのファドが一般的と言いますが、コインブラのファドは、
コインブラ大学のセレナーデとして存在していると言います。そのためか、 学生が路上でファドの知名度向上に努め
ていました。伝統的な行為のようです。男性はマントを多く引き裂かれているとモテモテだとか・・・。コインブラでファドを
紹介する場所がありましたので訪れて見ましたが、残念ながら訪れた時 歌手や楽器担当者の多くが不在で一人だけの
楽器演奏観賞で終わりました。
  
ポ ル ト










坂の多さはリスボンに劣らないと言うだけあって、起伏の多い街です。ドロウ川の河口に位置する商工業都市。
多くのドロウ川に架かる橋は新鮮で、気持ち良い風景でした。橋を走る電車も絵になります。お天気の良さと
相まって素敵な港町でした。高台のカテドラル、サン・ベント駅、ボルサ宮、サンフランシスコ教会を見学
しました。
 カテドラル=もとは要塞として作られたもので、銀細工の祭壇の右側にはアズレ―ジョが美しい回廊がある。
       朝一番で訪れたカテドラルは静かでした。
 サンフランシスコ教会=
教会内部は金泥細工を施した装飾が、目を見張ります。そこかしこに、繁栄した時代に
            贅の限りを尽くして作られた遺産を見ているようでした。 (撮影禁止)
 ボルサ宮=
ポルト商業組合の建物として1834年に建てられ、証券取引所として最近まで使用されていました。
      2階には今でもレセプションなどが行なわれる「黄金の間」があり、アルハンブラ宮殿を模して
      造られたと言う「アラブの間」は目を疑うほどの美しさです。当時の経済力を誇示するため18年
      かけて造られたれたものだといい、こんな贅沢な部屋は見た事がないと言うほどの素晴らしさです。
      イスラム芸術の粋を集めて表現した物凄い部屋でした。何時までも眺めていたい様な素晴らしさ
      ですが、写真撮影は禁止で壁全体と天井までを飾った色とりどりのアラベスク模様のタイルの
      美しさは、言葉で表現するには難しいものがあります。「百聞は一見に如かず」です。
      是非行ってお確かめ下さい。
                             ポルト市内写真集
 サンベント駅(ポルト)
      
写真集 


   ポートワイン試飲
    (サンデマン)

     写真集
 ポートワインを試飲した醸造社「サンデマン」は黒のマントと黒のハット姿で
解説してくれます。黒のマントはポルトガルの学生マント、帽子はコルドバ帽。
会社の商標マークのようです。我々のグループ案内を担当した女性は、若く
とても美しい女性でツアー仲間は写真を取るのに興じました。本人も多少意識
していて、まんざらでもなさそう。ポートワインとシェリー酒の老舗です。試飲の
赤ワインが美味しかったので、夫の赤ワインまで飲んでしまって、酔っぱらって
しまい、後の個人的予定がくるってしまいました。売店も試飲ホール横にあり、
ツアー仲間は、多数買われたようです。私達は待機組。(重くて持ち帰る気が
しませんでした。送って貰うほどの量は必要ないし。)

サンベント駅は、観光予定に入っていませんでしたが、旅行社にお願いして
加えてもらった場所です。やはり見て良かった場所でした。約2万枚の青い
タイル=アズレージョでポルトガルの歴史的な物語が描かれています。
鉄道の駅とは思えない程に素晴らしく、アズレ―ジョの博物館のようでした。
ポルトガルには、もっともっと長時間滞在して観光したい場所が多くあるようです。
ポルトに行かれたら是非ここに立ち寄って見て下さい。感動モノです。
写真集 オビドス
 城壁に囲まれ花に飾られた素敵な街オビドス。1282年にオビドスを訪れてすっかり気に入った王妃イザベルに
 ディニス王がこの街を送ってから代々王妃に送られた町となったという。城壁は全長1.5Km 歩くと約40分かかると
 いいます。ブーゲンビリアやゼラニューム、藤の花に春の花、オレンジなどの果樹に飾られた小さな町は、観光地
 そのものの美しさです。サクランボを漬けこんだお酒・ジンジャはこの町の特産品で、チョコレートのカップに注いだ
 ジンジャ―を飲むお祭りがあり、丁度お祭中でした。ツアー・コンダクターさんがまずお毒見して、ツアー客の有志が
 頂きましたが、アルコール度20%もあるとのことで、私達はパス。お酒は好きですが、非常に弱く、眠気で観光出来
 なくなるのを恐れての事です。駐車場近くには、ローマ時代の水道橋の遺跡が昔を想像させていました。
 遠くから徐々に見えてくるオビドスの町も素敵な風景でしたし、徐々に遠ざかって行くのも、後ろ髪惹かれる思い
 でした。
  
写真集 ナザレ
 1954年のフランス映画「過去を持つ愛情」で日本でも有名になった景勝地だと言います。夏にはヨーロッパ各地
 からのバカンス客で砂浜が埋め尽くされると言う観光地ですが、それもそのはずと納得のいく美しい場所でした。
 映画「過去を持つ愛情」のあらすじをバス移動中に、ツアー・コンダクターさんが読み上げてくれ、なかなか面白い
 映画だった事が解りました。いつかDVDを「ツタヤ」あたりで借りて見てみようと思ったものです。
 

ギマランイス
  ポルトガル初代国王のアルフォンソ1世 出生の地であることから「ポルトガル発祥の地」と言われています。
  アルフォンソ1世が誕生した城やブラガンサ侯爵の館、のんびりとした素朴な旧市街を散策し、ゆったりとした
  時間を過ごしました。その途中、ポルトガルで有名な高齢の監督・マノエル・ド・オリベイラ監督にお会いし、
  一緒に記念写真を撮りました。オリベイラ監督は1908年生まれの103歳ですが、今だ精力的に映画を
  製作して居られるとか・・・。現在世界最高齢の監督だそうです。杖はついていても矍鑠とした姿は、理想の
  年齢の取り方でした。主な作品は「過去と現在 昔の恋 今の恋」「アブラハム渓谷」「クレーヴの奥方」他が
  あります。      写真集
  
アヴェイロ

コインブラとポルトの間に位置し、干潟による港として栄えた町だと言います。おもな産業は漁業と牧畜で、干潟で
獲れる海草が肥料となって土地を肥やしたため、酪農が盛んになったそうです。肥料用の海草を集める船を
「モリセイロ」と言い弓のように反り返った帆先をしています。イタリア・ベネチアのゴンドラの様な形の船体に色
とりどりの絵が描かれています。今ではアヴェイロのシンボルとなって、観光客を楽しませてくれ、運河を彩っています。
この街の鉄道駅舎にも、美しいアズレ―ジョで飾られた駅舎があります。ポルトの駅が内側を飾っていたのに比べ
ここの駅舎は外側がアズレ―ジョで飾られています。こんな駅から汽車に乗って旅するのも、ロマンティックでしょう。
静かな田舎町の小さな駅舎ですが、ロマン漂う素敵な駅です。


アヴェイロ写真集
  
コインブラ写真集 コインブラ
  ポルトガル第三の都市ですが、大学の都市と言った学園都市の様です。以前テレビを見ていた時、大学の
  お陰で経済が成り立っているとの報道がされていました。この大学が存在する事で、この町には大きな
  経済効果があり、町の財政が成立していると語っていました。街を流れるモンデゴ川はエストレラ山脈を
  源流とした美しい川と称えられています。
  またこの地には、イネス・デ・カストロとペドロ王子の悲恋物語があります。王子の結婚相手である王女の
  侍女としてやってきた女性との恋は、身分の違いから結婚出来ず、イネスは殺害され 尽きることの無い
  悲しみの涙が「涙の館の泉」から、今もなお湧き出ていると伝えられています。この物語は、日本の宝塚
  歌劇団が題材として取り上げ、講演したとのポスターが、泊まったホテルに貼ってありました。私達がここ
  コインブラで泊まったホテルは、この物語の舞台であった宮殿を改装したホテルで、庭の奥深くに、小さな
  泉が保存されていました。

コインブラ大学
  リスボンとコインブラを往復していたコインブラ大学が、ここに定着したのは1537年のことでした。
  ヨーロッパでは、パリ、ボローニャ、サラマンカに次ぐ古い大学だと言います。ポルトガルの最高峰の大学だ
  そうです。構内以外は撮影禁止ですが、図書室や礼拝堂、重大儀式の間は豪華絢爛です。それもそのはず
  ここは「コインブラ王宮 または 王宮要塞」と呼ばれる、ポルトガル王家の宮殿として使用された建物でした。
  現在この旧キャンパスのほか、8つの施設を持ち国内最大の学生組織を持っていると言います。海外からの
  留学生が多いと説明されていました。見学した図書室は、絢爛豪華で、大きな修道院や教会の図書室の様
  でした。礼拝堂も豪華絢爛、そして帽子の間は旧王宮の大広間で、博士課程の口述試験など公式な儀式が
  ここで行なわれると言います。厳粛な気持ちで、試験や儀式に臨み感動するに違いありません。その他、
  旧王宮だったことの証か、武器庫も存在していました。
  、
ファティマ
 第一次大戦中の1917年3人の子供の前に聖母マリアが出現すると言う奇跡が起こりました。オリーブが
 点在しているだけの荒地であったこの地に荘厳な教会が建ち、カトリックの聖地となっています。私達はその
 地の「バジリカ」を見学予定でしたが、丁度この時期「イースター」にあたり、イースタ前の記念礼拝が捧げられて
 おり、多くの信者が訪れていて騒然としていて入場出来ず、30万人を収容すると言う広場のみの見学と
 なりました。ポルトガル語やスペイン語でのメッセージが司教によってスピーカーから流れていました。
 私はプロテスタントのクリスチャンですが、この司教はどんな言葉を発しているのか聞きたい気持ちでした。
 多くの人々が広場に流れるグレゴリアス聖歌と思われる讃美歌と共にメッセージに耳を傾け、屋外での礼拝を
 捧げています。「世界が平和でありますように・・。」と祈って、言葉の解らないメッセージに耳を傾けながら
 荘厳さを味わって帰りました。
 しかし 大きな木の下の涼しい木陰に座って、お話を聞いている群衆もいます。コンクリートの地べたを
 膝で歩いて礼拝をする人々もいます。日本人の信者ほど真剣な人々ばかりではなさそうです。
 八十八か所の巡礼を、旅行替わりに楽しむのと同じような人もおらたようです。世界中信仰心のバラツキは
 同じようですね。
                           ファティマ写真集


 ファティマの奇跡=1917年5月13日3人の子供の前に謎の夫人が現れ、「毎月13日に私に会いに来なさい」
          と 命じました。聖母マリアと名乗る婦人に、3人の子供は毎月13日に10月まで会いに行き
          3つのメッセージを託されます。この3人の子供達の内2人の兄妹は間もなく病死しましたが
          一人残されたルシア・ドス・サントスは修道女となり、このメッセージを教皇に語ったと言います。
          そして2005年2月3日に97歳で昇天しました。

 キリスト修道院写真集  
 トマール ナバオン川の中流に位置し、ユネスコの世界遺産に登録されている、キリスト修道院が
        あります。1147年サンタレンの戦いに勝利したテンプル騎士団に、アルフォンソ1世が
        その恩賞として土地を与えたのが起源とされています。14世紀以降はキリスト騎士団に
        受け継がれ、団長を務めていたエンリケ航海王子は、豊かな財力によってポルトガルを
        大航海時代へと導きました
エヴォラ写真集 エヴォラ
  プラシニエスと呼ばれる穏やかな平原に、コルク樫やオリーブ、麦畑が広がるのどかなアルト・アレンテージョ
  地方の中心都市。また大学のある学芸都市でもあります。日本からはるか海を渡った伊東マンショら天正遣欧
  少年使節がこの街を訪れたことから、日本でも知られる町となりました。共和制ローマの支配下にあった時代
  二重の城壁を持った街に発展し、町の中心部には、コリント様式の神殿が建設され、今も尚一部遺跡として
  残っていて、世界遺産として登録されています。私達はその遺跡前のポサーダ「ポサーダ・ドス・ロイオス」に
  宿泊し、その昔を偲びながらの朝夕を過ごしました。私達の部屋では、小鳥のさえづりで目覚める日々で、
  爽やかな目覚まし時計でした。小鳥が起こしに来る目覚めは、心和み懐かしい気持ちになりました。窓から
  見える中世風の屋根並みも、教会の鐘の音も心地よいものでした。このポサーダでの部屋割は大当たりで 
  昔懐かしいポルトガルを味わうのには最高の部屋でした。(洗面台の水漏れで、洗面所の床がすぐ水浸しに
  なるのを除けば・・・・。)廊下やロビーも古い時代を思い起こしました。部屋の鍵も、いかにも古くさく重い鍵で 
  味わいがあります。 しかし 多くの人が鍵の使用に四苦八苦しました。これもまた昔を味わう事柄の一つと
  なりました。またエヴォラ大学では、博士課程口答試験場として使用される重厚な部屋を見学した後、
  口述試験の試験官である大学教授に出会いました。試験の時着るガウンを持っていて見せて頂きました。
  皆で写真を撮っていると女性の職員が通りかかって、微笑んで歓迎してくれました。日本人!好奇心強い?
  なんて思ったでしょうね。今回のツアー・コンダクターさんは、こんなときすぐに親しみを持って話しかけ
  コンタクトをとります。今までの日本人が不得手とした性質を大いに改善して、外国人と親しむ良い行動だと
  思ったものです。私達ツアー客もそれらの人々と親しくし接し易く、楽しい時間が持てました。
  またここでの現地ガイドさんは、日本大好き女性で、フランクな話をする人でした。朝のジラルド広場では、
  年金を貰っている男性高齢者が暇を持て余して毎朝 この広場に集まって話をしてゆくと言って、「見て下さい」
  と示した先には、驚くほどの大勢の男性高齢者が立っています。女性は家で、家事に励んでいるのに 
  リタイア―した男性はこうして朝を過ごすのだと説明していました。お国が破産寸前になる原因の一つかも?
  日本での生涯現役案は、正解かも?なんて思ったものです。無理の無い仕事を生涯持つ事は、良い事かも?
  なんて感じたりでした。スペインなどでも、高齢者は日がな一日、ペタンクやカードゲームやチェスをして
  過ごしている姿を度々見かけたものです。
  
モンサラシュ村写真集 モンサラーシュ(ポルトガルで最も美しい村)
 エヴォラ滞在中 半日フリ−タイムの時間が予定されていましたが、コンダクターさんの裁量で、
 小さな村に行く事になりました。先発のグループが見つけた場所とか?で、「行って良かった。」と
 多くのメンバーが喜んだと言うので決定したようです。途中時々大雨、帰りも時々大雨の車中は
 雨でしたが、観光中は晴で、日頃の行ないの良さ?が結果に現われました。

 モンサラシュは標高332メートルのちょっとした高台に作られている白い壁の村です。スペインで
 良く見た風景と言う色合いです。村の門をくぐると、杖をついた男性のお年寄りが、ゆっくりと歩いて
 来ました。お誂え向きの風情ある風景となりました。この村は「沈黙の音がする」との異名を
 持つと言います。と言うのも夕暮れ時や遅めの朝に、夕日や朝日が美く時間が止まったように
 感じると言う事からそのように言われているそうです。村の闘牛場にも使われる競技場を持つ
 お城の頂上に登ると、大パノラマが開けて感動的です。
シントラ写真集 



ロカ岬写真集
シントラ
 詩人バイロンが「エデンの園」と称賛したほどの地で深い緑に覆われた山中に、王宮を中心にして瀟洒な
 別荘や貴族の館が散在している所です。この美しい景観は世界遺産にも登録されている、ポルトガル有数の
 観光地です。現地ガイドとの連絡ミスで、余剰時間が生じたため、ミニトレインでシントラの町を一回り。
 遊園地気分で時間つぶしです。でもまあ、楽しい時間でした。食事の後、王宮観光。

 王宮は1415年ごろからジョアン1世の援助で建設が始められた。現在残っているポルトガルの王宮では
 最も保存状態の良い中世の王宮だと言います。世界遺産にも登録され、シントラノ景観の一部として文化的
 役割を果たしているようです。1584年8月に天正遣欧使節が王宮を訪れ白鳥の間でアルベルト・アウストリア
 枢機卿に謁見した所だと言います。
 ロカ岬
 ロカ岬はユーラシア大陸最南端の地。ポルトガルの詩人カモンイスが読んだ詩が刻まれている碑が建って
 います。「ここに陸終り、海始まる」と書いてあるようです。「到達証明書」なるものを旅行社が用意して
 くれました。とても立派なものです。「なんだかなー! とりあえず記念として・・・・・」
食したポルトガル料理
多くのポルトガル料理を頂きましたが、毎日食べるご馳走に段々満腹してきて、少しづつしか食べられなく
なりました。日常、簡単に済ましたり、お茶漬けだったり、控え目な食事をし始めた老人には、毎日の
ご馳走は、少々きつい。やはり質素な食事は、身体に良いのだと言う事を実感するような毎日でした。

しかし、日本人には向いている料理と思えます。魚を使ったものが多く、味も合っています。なんだか
食べ慣れた味の様な料理が多く、若かったらもっと頂けたでしょう。ただ量が多過ぎる。

「日本人向けに量を少なくして下さい」とお願いしても、周りの人が見て「こんな量なのか?」と
誤解されると、レストランのプライドが傷つくそうで、たっぷり盛ってくれます。少々有難迷惑だし、
もったいない。食べられない人々もアフリカなどには多いのに・・と贅沢を反省したりです。
豊かである事の罪と貧困である事の罪が納得いく様な毎日でした。
一部の料理を 写真集 として載せてみます。
たらのコロッケ