タヒチ島&イースター島

お疲れです−1

 今回は「イースター島」と「タヒチ島」に旅行することにしました。普通「タヒチ島」だけ。「イースター島」だけのツアーが殆どで、両方行ける
 ツアーは見かけませんでしたが、夫の友人が一度に両方行ったとのことで探してみると見つけました。

 約半年前から予約していました。この旅行は、タヒチ島からイースター島へはチャーター便を使うようですので、通常より割高ですし
 フリータイムが多く、食事もついていないことが多く、オプションで楽しむことも多くなりそうですから、お小遣いも沢山必要なようです。
 でもまあ、2回に分けて行くよりはずっとお安い旅行になると思います。

 メキシコのカンクーンから行ったカリブ海の島とかバリ島ほかは、南島にまだ行ったことが少ないせいか、ネットで見たホテルの様子など素敵です。
 珍しい内容の旅となるやもしれません。
 楽しみではありますが、決算書を作ったり、お墓参りを済ませておいたり、サロンの食事会の幹事も済ませて、部屋の掃除や整理整頓・洗濯など
 忙しくしていましたので、お疲れです。

 遊ぶのも疲れる年齢になりましたが、出来る間は頑張って遊んでおこうと張り切っています。死んでゆくとき多分「よく遊びましたねー」と
 想いながら、次の世界を楽しみに死を受け入れることになりそうです。
                         2017年3月18日)


お疲れです−2

 10日間の「タヒチ島&イースター島」の旅行を終えて最初の朝を迎えました。
 何時もの時間朝6時に起床して、ごみ出しや朝食作りに励みました。やはり日常の仕事をすると
 落ち着きます。

 朝食をたっぷり食べて元気になりました。何時も利用している旅行社ではなく、今回は「クラブ・
 ツーリズム」と言うところが主催する旅行で、タヒチ島までは通常運航便「エア・タヒチ・ヌイ」の
 飛行機を利用し、タヒチ島パペーテからはチャーター便を使ってイースター島へ飛ぶものです。

 今まで見たイースター島の旅は、南米チリに行き、チリからイースター島に渡る旅で、時間が
 かかっていましたが、この旅行に夫の友人が参加したと言う情報を得て、探して申込みました。

 イースター島は、1722年のイースターの日にオランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーン

 発見したことからこの名前が付けられたと言われています。
 1774年にイースター島に上陸したクック船長は「島じゅうが骸骨で覆われていた」と、
 その数年前に島民の大量死が起こったことを思わせる様子を書き残していると言われています。

 イースター島の無謀な開発と環境破壊に警鐘を鳴らすエコサイド説による文明の崩壊説は
 最近、18世紀ごろに島を訪れたヨーロッパ人によってもたらされた病疫が人口を激減させ、
 文明破壊につながったと言う説に変わりつつあるようです。

 ともあれ、今回の旅はかなり強行軍でしたが、満足ゆく旅行でした。この後「旅日記」を
 海外旅行記に掲載しますのでアクセスして下さい。

 現在多少お疲れですから、少しお時間がかかるかもしれませんが・・・。
                                 (2017年3月30日)




一瞬の思い出

 
今回の旅行でも楽しいひと時・失敗などがありました。そんなことも旅の思のい出の一つです。それぞれに訳があります。

 夫と二人で旅行していた若かりし頃には無かった同行者たちとの思い出も好いものです。皆さん旅慣れた人が多く、旅好きです。
 一年間に5度は行くと言うカップルも多く、お金と暇と体力が多有りのようですし、時間が出来てからそれまでの不自由を取り戻そうとして
 おられるかのような人々にも見えます。
 子孫にお金を残すより、稼いだお金は自分で使っておきたい人が多いようです。これも考え方、生き方ではあります。

 1974年から海外旅行を始めた我々は、一年に5度も行ったことはありません。多くて2回ですが、長年続けているともう40回以上は、
 海外旅行をしたことになっていると思われます。「継続は力なり」と言う具合ですかしら・・・。
 
 皆さん良い思い出を残せたようです。満足げに別れて我が家へと帰って行かれていました。         (2017年3月30日)
       
 私達グループの担当
添乗員・藤川さんと。
(とても好い添乗員さんでした。
みんなの人気者。)
知らない者同士でも旅行中は
皆アミーゴ(友達)。 
一緒に撮った写真を、メールで送って
くださいと頼んでいましたところ
このような写真が送られてきました
設定が水彩画調になっていた
そうです。 
この記念写真の時には、面白い
エピソードが有りますが、ここでは
書けません。いずれまた・・・。 
       
夫と一緒に写真を取らなくなって久しいのですが、今回は「年賀状の写真に使いましょうか」と多くを取りました。しかし、二人が入っていない写真に良いものが多く、
やはり「人物無し」で行きましょう と話しています。年を重ねると、自分の写真は「もう結構!!」と思ってしまいます。年を経てからは、人間は少し奥深くなったかも
しれませんが、顔形は衰えてきて見たくなくなります。若い頃のままだと思って自信無くさず悠々としていた方が、気楽だと思っています。   


お疲れです−3

 やはり日本食は心も体も落ち着かせます。戻ってから温かいご飯が美味しくて落ち着きます。食事がいかに心を左右しているか理解できます。
 海外食にも慣れていると思っていた私たちですが、やはり、いかに普段の生活が合っているか分かります。

 疲れも大分取れてきました。しかし文化の違う海外に出るのは好いですね。私たち夫婦は、家にじっとして居られない性分かもしれません。
 戻ってから、洗濯、荷物の整理、お土産の整理、溜まっていたボランティアなど、忙しい日常が返ってきました。

 『来年は何処にしようか』と、夫と話し合う日々です。                                 (2017年3月31日)


旅の記憶

 旅行をしていると時々、素敵な場面に出会うことがあります。今回の旅行で、前半良いお天気に
 恵まれて美しい風景でしたが、帰りに2度目に立ち寄ったパペーテでは、どしゃ降りの雨でした。

 ホテルにチェックインして休んでいた時、雨が上がって夕日がホテルを照らしていました。
 私たちの部屋から、夕日に照らされたホテルと蓮池が美しく、写真を撮ったものでしたが、夕日に
 照らされた東の空には、美しい2重の虹が出ていたと言います。

 私たちの部屋からは見えませんでした。この旅行で知り合ったご夫妻から聞きました。
 見えなくて残念でしたが、「写真を撮った!」とのことで、写真をメールで送ってもらえないかとお願い
 したところ、送ってくださいました。

 何か間違えて写真の設定を、水彩画調にしていたとかで、今回の写真が全て水彩画風に撮れていたと
 いうことです。送って頂きました。これはこれで面白いので載せてみます。
 「実際の虹を見たかったなー」と思いました。水彩画調の写真で我慢!!  (2017年4月2日)


リラックス

 
南の島でフリータイム。水着に着かえて海水浴にプール浴。
 そして休憩はハンモックにプールサイドチェアーでの休憩。

 なんだかリラックス。しかしカメラのレンズにゴミ着いてた!!
 ぼかしは意図したものではありません。やれやれ!

 こんな水着誰も着ていませんでした。高齢者でも外国人女性は
 ビキニです。ちょっと考えてしまうのは、私の悪い癖かしら?
 外国人女性は堂々と肥満で弛んだ肉体を披露してくつろいで
 いました。          (2017年4月3日)


南太平洋タヒチで食した料理
 
かなり量が多い、フランス領らしくフレンチですが、フランスよりダイナミックな感じ!!ポリネシアンも結構肥ってますから、良く食べるようです。

 上段の料理は、ボラボラ島のホテルのレストランで注文した3種ですが、量が多くて夫はリゾットとアイスクリームは半分しか食べられません
 でしたが、アクアパッツァ以外の料理がなかなか出て来なくて、段々腹が立ってきました。せっかちな日本人だけではなく、白人たち外国人も
 「どうしたのか?」と言う顔で、調理室あたりを見て嫌な顔して待っていました。あまりに待たされ過ぎるのも、結構腹立たしいです。

 夫と「どうせ、おしゃべりしながら作っているんだろう。」などと不満を言ったものです。日本人のように真面目な人は少なく、何時だったか
 スペインでは、ビールを飲みながら呑気に作っていたのには驚きました。エジプトでは、料理の中にたばこの吸い殻が混じっていて、たばこを
 吸いながら料理を作ったことが想像できました。お国柄か?お人柄か分かりませんが、参りますよね。タヒチの人はどうだったのでしょうか?
 お魚のアクアパッツァ シフード・ リゾット アイスクリーム 
     
 前菜  さわらのムニエル  デザート

なんだかなー

 今回の「タヒチ&イースター島」旅行は、時間的にかなり無理があり、お弁当が何度か出されました。しかし、「なんだ?これ」というお弁当
 ばかりでした。

 タヒチやイースター島では、お弁当は作らないのかもしれません。果物とパン3ッつにポテトチップとお水と言うものがあり、日本人には驚きでした。
 日本人はお弁当と言えば、弁当箱を工夫したり、おかずを面白くしたり、開けた時の喜びや驚きなどを期待して盛り付けたりと、工夫が
 盛り込まれています。

 「ちょっと工夫するだけで食事らしくなるんだなー。」と感じました。これらのお弁当は「餌」と言う感じで、がっかりでした。

 日本人って、お弁当には心を使いますね。しかし昔の日の丸弁当は餌でした。その反動で現在のような工夫をする時代になったのでしょうか?
 なんだかんだ言っても日本人って、人生楽しむ民族です。余裕があるとも言えます。ありがたい世界に住んでいると言えそうです。
                                                                          (2017年4月6日)


旅行中の出来事

 この写真、今回の旅行中、パペーテのメリディアン・ホテルの庭で4−5人のおば様旅行者が次々と
 この籐の椅子に座って写真を撮り合った写真です。

 所々太い籐が使ってあり、お尻にあたると痛いのです。私は上手に座りましたが、多くの方は、
 「尾てい骨に当って痛い」と大笑いしながら写真を撮りあっていました。

 そこに一人の男性旅行者がやって来て自分も撮りたいと言うので、一人が撮ってあげました。
 その男性も尾てい骨にあたって痛かったと言い、みんなで大笑いしました。

 その後、4−5人の女性旅行者は右に歩いて行き、私とその男性とが左に歩き出したのです。
 写真を撮りたい所が同じだったようで、同じように歩いて行き写真を撮っていたら、違ったグループの
 4−5人の女性が写真を撮っていて、「全員一緒にとりたいので取ってください。」と一緒にいた男性に
 頼みました。写真を撮った後、「お二人も撮りましょうか?」と声をかけられその男性は「お願いします。」
 と答えましたが、私は「知らない方なんですが、私で良いのですか?」と答えました。

 皆さん不思議な顔をして、私が冗談を言っているのだと思ったようです。「私達夫婦ではないのです。ただ、一緒に歩いてきただけ・・。」と言って
 「どなたか一緒に入りませんか?後から誤解を受けないために・・・。」と笑っていましたら、すべての皆さんが入ってその男性と写真を撮りました。 


 「二人で歩いてきたから当然ご夫婦だと思いましたよ。」と大笑いでした。男性はお一人で来られていたようでしたので、見知らぬ女性と
 記念写真を撮ることに、なんら問題を感じなかったようですが、夫を部屋に残してホテルの庭をうろうろしていた私は、心配してしまいました。
 ツアーでの旅行は、こんな不思議なことが起こります。みんなで大笑いをして別れました。

 その男性、我が家に帰ってその写真を見て思い出して笑っているのではないでしょうか?私の名前も住所もこの男性は知りません。
                                                                         
(2017年4月7日


女性と言う人間

 
今回の旅行で知り合った人の中に絵を描いておられる女性に会いました。私も日本画(岩絵の具で描く)を描いているため話が合い話し込み
 ました。彼女は油絵で抽象画家だそうです。

 彼女、半年前位にご主人を亡くされていたようですが、明るくそんな時期にあるとは思えませんでした。驚きは彼女が話した内容です。

 彼女は愛する夫から一度も給料を受け取らず、自分で働いて夫を養っなったと言います。夫はきちんとした半官半民の会社に努めた男性ですが
 ご夫婦共に出世は望まず、趣味に生きたご主人を奥様が支えたようです。

 死んでゆくときの様子も話しておられて、いかに奥様を頼っていたか、別れるのが辛かったのか偲ばれました。
 彼女は、夫の死と共に生前戒名もされ、お墓も作り、一緒に戒名を墓碑に書き込んでいるそうです。

 しかし彼女、もうかなり親しいお茶飲み友達が二人もいると話すのです。一緒に食事したり、二人だけでお話したり、海外旅行したりする相手で、
 「夫婦のような関係にはならない。」と語ります。しかし、「こんなに愛していた。」と話した内容とは裏腹に、半年で親しいお茶飲み友達が
 出来ています。

 「女性って一体何なんだ!!」って思いましたが私、「好きなように、思ったように生きられたら良いと思いますよ。」なんて答えていました。

 彼女は「結婚を申し込まれたが、断った。最期は夫のもとに帰りたい。もう戒名も作ったことだし、お墓にも刻んでいる。」と話すのです。
 そして「どんな良い事、楽しいことがあっても、夫との関係には勝らない。」と言うのです。

 「私はこうした人生は選べない!!」と思ったものです。長年夫と過ごしてきた歴史を共にしたから・・、若いころ肉体を交わらせていた時代が
 あったからから、こうして人間関係だけで愛し合えるわけであって、いまさら違った人生を歩いてきた男性と二人だけで話すこともなく、一緒に
 海外旅行するなど、長い時間一緒にいるなんて、私にとっては煩わしいに違いありませんし疲れます。

 長年の女友達や妹で充分!!と思ってしまいました。                                   (2017年4月18日)



生活の場所

 
タヒチ島へ旅行した時、タヒチについて解説を聞きました。タヒチ「ボラボラ島」を8人乗り4輪駆動のジープで、島を一周する観光でのことです。
 ガイドは、タヒチに住み着いた日本人でした。ホテル従業員(フロント日本語係)やガイド、スキューバーダイビングインストラクターなどの職業に
 ついている日本人が多数いるようです。

 「解説」と言うのは、「ここボラボラ島には、学校は中学校までしかありません。そして病院もありません。高校はタヒチ本島へ行きますが、
 大学はなく、オーストラリアやアメリカ、ニュージーランド他に留学することになります。」と言うのです。病気になったら船で、タヒチ本島に
 送られると言います。病院は一つしかなく、お医者さんは少ししかいません。

 ボラボラ島」からタヒチ島には、30分〜1時間くらいですが、気候によって船が出ない日もあるでしょう。怪我や急病人は、命の保証が
 かなり難しくなりそうです。

 そして、タヒチ人は、勉強して学歴をつけても意味がないそうです。と言うのは、タヒチは観光産業しかなく、高学歴を必要とする仕事が
 ないからだと言うのです。

 小学校は大抵、教会の横にあり中学校は、少し離れたところにありました。漁師や農業、ホテルの掃除、車の運転、飛行機からの荷物の
 積み降ろし、マルシェで売るお土産物を作ったり売ったリで生活していて、高学歴は必要ないのです。

 そして魚などを売っている人も、朝早く取って来て、一日中同じ魚を冷蔵庫も無しに売っていると言いますし、ハエなどたかり放題のようです。
 冷たい所に置いて売っている魚や冷凍した生ものを買って食べている日本人には、買う気持ちになれない物も多いと言います。

 原始的生活と言えばそれまでですが、ホテルなど冷房完備ですし、ホテルの食事もフレンチです。文化的な生活が無いわけではないのです。
 経済大国の経済格差が問題視される中、「食べて行ければ、それで良し!」という気楽な社会がまだ存在しているようです。

 宗教は現在、「キリスト教」で、テレビで見た番組によれば、女性が帽子の花飾りを競って手作りし礼拝に望み、3度のハーモーニーが
 当たり前のポリネシア特有の合唱での賛美。なにかしら気楽な社会が存在していました。

 女性の見え張り競争が、「帽子の花飾り」と言うのがかわいらしい限りです。

 文化的な生活が、人間を幸せにしているかどうかは、考える余地の無い事ですが、一度文化的生活に馴染んでしまうと、このやや原始的な
 生活で満足して幸せを感じるか?というのも、問題外とも言えそうです。何かしら退屈で、3日すれば飽きてきそうです。

 注=もともと宗教はこの地に存在していなかったようですが、現在キリスト教で80%がプロテスタントだそうです。一つの島に2−3ケ所
    教会がありました。教会内は見学していませんが、ヨーロッパの荘厳な大聖堂のような教会は少ないようです。タヒチ島パペーテで
    一か所大きなカテドラルを外から見ましたが・・・・。                             (2017年4月25日)