グローバル・ユースビューローの「ペトラの夢 ヨルダン周遊・9日間」に参加してヨルダンへ。
約5年前「ヨルダンとシリア」へ行く旅行を申し込んでいましたが、夫が癌と誤診され、治療のためキャンセルしました。
再び希望して挑戦しましたが、その間にシリアが内戦状態となり、シリア旅行は不可能になりました。そのため今回ヨルダンだけの
旅行となってしまいました。エティハド航空と言う航空会社の飛行機にも初めて乗り、アブダビ経由アンマンに到着。成田・アブダビ間は
エティファド航空ビジネスクラス往復です。
死海で浮遊体験。リゾート地アカバに。そして映画「アラビアのロレンス」のロケ地となったワディラム。ヨルダン渓谷とベタニア。
モザイクの町マダバ。モーゼの終焉の地と言われるネボ山。「新・世界七不思議」に選ばれたペトラ遺跡。首都アンマン。
ローマ遺跡の古代都市ジェラシュ。など見所は多くありました。
中東への旅は、エジプト、トルコ、イスラエルに次ぎ4ケ国目です。やはり 異国情緒たっぷりです。欧米と違った情緒が魅力です。
ベドイン文化や食事も興味深いものがあります。市場の様な商店街は、エジプトやトルコ、イスラエルで体験した商店街でした。
街中で油で揚げ、即売っていたシリア アレッポ地方のお菓子「カラベージ・ハラップ」を買って皆んなで少しづつ立ち食い、美味しかった。
ヨルダンを旅行して感じたことは、貧富の差こそあれ 穏やかに暮らせているように見え キリスト教徒は少なく、イスラム教徒が
ほとんどを占めているというお国柄にしては、キリスト教に理解があるように見えたのは、キリスト教関連の遺跡や聖地により、
観光客や巡礼者が落とす経済効果の恩恵も大きい事があるとも考えられます。
そして 王国で王様が統治する国であることにも理由があるかもしれません。到着した日、王様の誕生日で お祝いの歌を歌いに
王宮に行くという 民族衣装を着た男性合唱団が整列して大きなトラックの上に並んで待っている風景がバスの窓から見えました。
沢山の高級バイクが周りに控えていました。バイクに誘導されて王宮に向うようでした。
日本に皇室があるように、国民を一つにまとめる心理的な要因を国王が担っている事が、イスラム教でまとまる国との差が
あるのかもしれないとも思えました。ホテルや大きいレストランなどには、王家3代の王様や皇太子の写真が飾られていました。
また アンマンの町には、隣国シリアから逃れてきた難民の人々が住んでいるという地域もありました。
それに イスラム教のモスクが、大きいモスクが目立たない。トルコやエジプトでは、大きいモスクが沢山建っていました。
ここヨルダンでは、私たちが通った場所には、小さめの地味なモスクがそこかしこに立ってたのを記憶しています。
ただ トルコやエジプトは、モスクの中を観光客に公開していますが、ここヨルダンでは、モスクにはイスラム教徒しか入れず、
観光客や他宗教の人には開放していないと、ガイドは語っていました。信者の神聖な祈りの場所として、固くその存在理由を
守っているようです。
ちなみに ヨルダンは、正教分離と信仰の自由を実行している国のようです。そしてインターネット調べでは、中東で
キリスト教徒が守られている国は、エジプトのコプト教徒とヨルダンのキリスト教徒くらいだ と書いているものもあります。
それと私たちが乗っていたバスには、拳銃を持った警官が常に一人同乗していました。安全のためのようでしたが、退屈そうに、
後ろの方の席で携帯電話で話をして過ごしていました。
規則上の措置とも思えましたが、対岸のイスラエルに行った時、若者の旅行者グループには、自動小銃を持った軍人が
3−4人同行していなくてはならないという規則になっていると説明していました。5−6人のグループに3人の軍人が
同行しているのを見ました。やはりこの辺りは少々、危険地域なのかもしれません。
ただ ヨルダンでも時々車の路上検問がありましたが、警官が証明していたようで、通過許可が早く出るようでした。
旅行会社の便宜上のシステムかもしれません。
追記=アンマンからアブダビに飛行中、隣の席のヨルダン人が夫に話しかけて来ました。「ヨルダンは学校に行けない子供が
多い。」 とか 「現在オーストラリアで仕事をしている。」とか 「日本は地球儀上、どの位置にあるのか?」などと
パソコンで世界地図を示しながら話した後、「日本では、結婚するのに契約金は平均幾らかかるか?」と聞いていました。
夫が「Nothing!」と答えると、何度も「幾らだ!」と聞き返していて「ナッシング!」が、信じられないと言う態度でした。
イスラム圏では、結婚する時、多額のお金を、新郎が新婦側に支払うようですし、離婚するときは、幾ら支払うと、契約して
結婚すると言われていますが、やはり本当のようです。
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